走快:ホノルルマラソン1987
1987年12月13日。第15回大会の完走記録

金沢中央走ろう会/ホノルルマラソン特集
第15回ホノルルマラソン完走記録/1987年12月
7回連続ホノルルマラソン参加
金沢中央走ろう会代表 天野 耕兵衛

木谷姉妹のゴールイン

カップを手に:年齢別1位 吉田さん(11歳)

 第15回ホノルルマラソンに24名のツアーを組んで金沢を出発したのが12月10日午後0時30分。18名のランナー、5名のウォカー。そして1名の応援者である。
 最高齢は76才の宮島さん。最年少は11才の吉田明子さん。父親と祖母が同伴。60才以上が4名。男9名、女15名、マラソンの経験者は2名、あとは初体験、ランニング歴は長い人で17年という人もいるが1年未満という人もいる。
 バラエテーの多い、多様なプログラムを組んでおかなければならないのは、ランニング予想タイムが3時間30分から7時間にわたるという数字を見ただけでもわかる。
 今年はほぼ3か月のスケジュールを各人の年齢、性別、ランニング歴、これまでのレースでの所要タイムなどをもとにして、トレーニングプランを作る。月毎に大きくわけて、週間を基本にしたもので、月に1回は20q〜30qを走ること、週に2日〜1日の休息をとって、長く走る日、早く走る日、軽く走る日など変化をもたせ、疲れをためないことを念頭において作った。そして、最大のポイントを11月15日の金沢−美川往復34qランニングにおいた。
 ホノルルマラソンを完走したあと参加者から出た言葉は、「金沢−美川間ランニングをやっておいてよかった。あれがなければ、こんなに楽に走れなかっただろう」と。特に初心者の方に多かった。
 出発までに、3回の合同打合せをし、2回の文書による指導をしたが、徹底して言い通したことは「ゆっくり走れば必らず完走できる」であった。
 この言葉は、大阪までのバスの中の2時間近くのランニング講話。カピオラニ公園での朝、夕のトレーニングでも、□をすっぱくして語りかけた。
 それでも、初心者は不安になったり、気負ったりする。「ゆっくり走れば完走できる」ということばを裏付けるために、数字を提示した。スタートから10km地点(ダイヤモンドヘッド横の灯台付近)の所要時間である。
 私の体験でいえば、52〜53分でいけば3時間30分位のタイム。60分でいけば、3時間50分位、63分でいけば4時間5分〜10分のタイムで完走できる。
 50分のタイムでいって、走り続けるには10qのレースで45分以内、20kmのレースで1時間30分で走るだけのスピードがいる。その人がぺ一スを80%位に落して走ると10kmまでが52〜53分ということになる。
 ただし、この区間は3つの条件を加算しておかなければならぬ。
 (1)スタートラインまでのロスタイムと、混雑によるスピードダウン
 (2)ダイヤモンドヘッド付近の上り坂
 (3)ウォーミングアップ不足によるスピードダウン(身体が走るのに馴れてない)
 だから、どうしても、この区間はタイムが少々プラスになるのが普通である。
 このことを読んでおかないと、あせりが出て、10km地点からのゆるくて長い下り坂でスピードを上げすぎ、その勢いで20q地点までとばして、ハワイカイから後半はぺースダウンになってしまう。
 マラソンは忍耐である。後半の苦しさに耐える忍耐もいるが、前半は調子に乗ってスピードアップしようとする欲求にも耐えなければならない。前半10kmまでにスピードを上げすぎるか、10〜20qまでにスピードを上げすぎると、30〜35kmあたりで必らずといってよい位、トラブルが発生する。25kmまでは、押えに押えて走れば、あの長い35qまでの7kmのフリーウェーの直線は比較的楽に走れて、余力をもって35kmからの壁、ダイヤモンドヘッドの長い上り坂に挑戦することが出来る。峠へ上れば、あとは一目散、転んでもゴールヘということになるのだが、実際は、そうはいかない。
 天候、体調、トレーニングの状態の外に、精神的なものも大きく影響する。
午前6時、真暗の中に、歓声を上げて1万人ものランナーが、ゆるぎはじめる。その流れに入ると、気負うなといっても、なかなか抑制できない。ついついつられてしまう。
 だからスタートゾーンはワンランク下げて後方からスタートをすればよいということになるのだが、プライドが許せないのか、先行き不安で、前半に貯金をしようと思うのか(先行逃げきり型)、自信過剰なのか、しかし、こんな人は、元気なのは20〜30kmまでということになってしまう。
 その典型なのは、今回の私の場合である。10km63分(予想タイムは60分)、下り坂スピードアップ、10〜15km27分、12km地点でトイレにいき、その間に先行した吉田明子に追いつこうとしてスピードアップ。
 20q2時間1分。ハワイカイで、新木さんに会い、先きに安宅さんと吉田明子さんがいるというので、再びスピードアップ。しかし、つかまれなくて、スピードダウン。30kmの地点がわからず、35q(ゴルフ場付近)で3時間33分、これで4時間10分を切るのはむつかしいと、うつろな頭の中で計算し、フリーウエーから細い道に折れる。給水をとって500mほどいったあたりで、突然走る意欲がプッツン。これまでのマラソンでは、このあたりの苦しさに耐えて、完走してきたのだが、今度はその意欲が湧いてこない。足の痛みはない、心配したマメも出来ていない。便通も1回でスッキリ。肉体の疲労感はさほどでないが、なぜか全身が重くて、ものうい。
 健康ランニングなのだから無理するすることはない。これが歩くことに強力な作用をする。
 途中の部分的なオーバーぺースが原因か、それともトレーニング不足かなどと考えている間に、もう歩き始めた。私のマラソンでははじめてのことである。
 年齢を考えずにぺースチェンジをやりすぎたのかとも思う。
 吉田明子さんが心配になる。もうゴールインをしているだろうか。4時間そこそこでいっているだろうか。
 歩きはじめてから仲間の誰も追いこしていかない。(実際は2人に追いこされているが気づかなかった)
 歩くことは楽なことだ。大またにスピードを上げて歩くことはできない。あと7km歩けばゴールだ。全部歩くことに決意する。40km地点から走れないこともなかったがゴールまで歩く。
 大阪の同年配の人と歩きながら話し合う。その人も「お先に…、足が重い…」とひと言いい残して先きへ。横浜の人も「辛いですね」としばらく歩いたが、峠のところで先きにいく。カピオラニ公園に入る。猛烈なシャワー(雨)がくる。ずぶぬれ。それでも寒くない。速成の雨合羽も捨てる。北村さんが、後から「天野先生!」と声をかけて、ゆっくり走っていく。一歩も歩かなかったというから立派なものである。無欲無心に、ひたすら自分と問答をしっかりしていたから4時間40分台で走り通せたのだろう。ゴールはついそこ。周囲から「ゴーゴー」という声がかかるが、最後まで勇(?)を鼓して歩く、これも辛い。知人に頼まれたスポンジを握りしめて、スマイルでゴールイン。4時間49分5秒、最後の7qを完歩しての記録だから、よしとせねばなるまい。
 そんな私にも、周囲のボランティアから「コングレチュレーション」という祝いの言葉がかかってくる。
 ほかの仲間はどうしているのか、まだ走っている人たちはどうしているのだろうかと案じながら、更衣のためにホテルヘ急ぐ。

 15回大会で特筆すべき成果は、
 (1)初体験のランナーが、余裕をもって予想以上のタイムで完走したこと。
 (2)高齢者のグループが、歩きを適当に入れて、忍耐に忍耐を重ねて完走したこと。疲労の度合いも大きくなかった。
 (3)吉田明子さん(11才)が年齢別で一位になったこと、35qからペースダウンをして、4時間を切れなかったが、本大会の記録を大きく上廻った。
 (4)メイーヤーズ、ウォーキングに4名が参加し、7qを完歩して、市民との交流を深める。
 この中から来年以降きっとフルマラソンを完走する人が出るだろう。
 (5)完走祝賀会で、何人かの人が涙を流して完走の感動と喜びを語ってくれたのが強烈な印象だった。長い日々のトレーニシグ。雨の中のレース。苦しみが大きかっただけに喜びがこみ上げるのを止めることができなかったのだろう。
 私も苦労のし甲斐があったとしみじみ嬉しく思った。

 過去7回のうち、最多のメンバーで高齢者も数人含んでいながら、みんな元気で帰国できたことを喜び感謝したい。

追記

 何故35q付近から歩いたのか。
 原因と思われるものは
 (1)トレーニング不足。30km以上を2回走る予定が、十分できなかった。
 (2)年齢が年ごとに高くなっている。当り前のことだが身体は意識より老化度が進行している。
 (3)その証拠に、膝がいたむ。変形性腰つい症で、ももの裏側(大腿二頭筋)がしびれる。キック力が弱く、ストライドがのびない。ピッチもおちる。1q当りの所要タイムが長くなる。
 (4)レース中のオーバーぺース。
 (5)呼吸もそんなに苦しくないし、筋肉もどこもいたくないのに突然意欲を失ったのは、内臓特に循環器機能が急速に衰えてきたのではないか、動脈硬化の促進なども考えて、メディカルチェックをしっかりすることも必要だと思っている。

来年のために
 (1)トレーニングの組み立ての再編。
 (2)メディカルチェック
 (3)ぺ一スの配分、特に20kmまでのぺ一スダウン。
機関誌『走快』7号掲載

【編集長メモ】2004/06
天野代表がホノルルマラソンを走る興奮を伝えたのが1981年の大会。今から23年前のことです。それ以来連続の参加です。
今回は、7回目にあたる完走記録です。ここでは、途中での思わぬ失速に対する反省を紹介します。参考にしてください。

参考1981年大会完走記録:天野代表


天野代表:2003/12 アロハタワーの前で
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