金沢中央走ろう会/走快あらかると
家族会員:夫婦で二人三脚

2004/05マラソンに挑戦する会
大会の役員を終えて
岩橋さん夫妻
石川国体の炬火リレーに参加した楽しい思い出
【プロフィール】
岩橋 宗一
生年:1917年
走暦:1975年から走り始め。1976年:金沢中央走ろう会入会。
平成2年、全国健康福祉祭琵琶湖大会で敢闘賞。
岩橋 キク
生年:
1923年
走暦:1980年:金沢中央走ろう会に入会。
平成元年全国健康福祉ねんリンピック89大分大会で優勝。

金沢市民マラソン参加者代表:宣誓宣 誓(1996年金沢市民マラソン)

 私たち夫婦は、二人三脚で人生を歩んできました。
 健康に感謝し、走る喜びを味わいながら、晩秋の金沢のまちを楽しく走ることを誓います。
 そして、来年もまた、夫婦そろって皆さんとお会いすることを楽しみにしています。

平成8年11月10日
 金沢市民マラソン参加者代表

岩 橋

 宗 一 (79歳)

 妻

 キ ク (73歳)

金沢中央走ろう会と私
岩橋 キク
全国健康福祉ねんリンピック89大分大会:優勝 私は先に入会して鍛えていた主人の姿を見て何時かはと思っていたのですが、昭和55年10月10日体育の日を記念して入会しました。
 翌年、4月25日には、北国レディスジョギング大会に出場し大勢で走る楽しさを体験し、いよいよ走ることが楽しくなりました。其の後はエイボン女性ランニング大会にも出て富山の走友会、羽咋の方々とも交友を深めることが出来ました。

 日曜日の例会には、トレーナの指示でストレッチ体操で体をほぐし、それからみんなで犀川や卯辰山へと走り、体を鍛えてきました。其のお陰で色々の大会に出場出来るようになりました。今思えば初めの体調より年を重ねた今が尚調子が良い感じです。現在の健康は走ることを続けて来たお陰と思って居ります。

 いろいろと嬉しかった思い出があります。先ず、平成元年全国健康福祉ねんリンピック89大分大会で優勝し、団長さんが喜んで仲間に地酒「西の関」を全国のみんなのいる前でくだされ一同で乾杯しました。

石川国体マスコット:元気君と共に 次は石川テレビの「石川の窓」と題したテレビに出演させて戴きました。その後は東京のNHKの番組欽ちゃんの「悠々くらぶ」に出演して思い出になって居ります。

 二度と参加出来ない石川国体の炬火リレーに参加出来たこともそのひとつです。右手に予備炬火を持ち上げて主人の後につき、神田陸橋を走り越えたあの高揚した気持ち。また開会式を待つ県立競技場の顔を開会式の前日、早朝マスコットの元気君と主人と三人で会場をかけまわり放映されました。年を重ねた今健康でこうした思い出が出来た事は、中央走ろう会に御縁があったればこそです。若い人達と共に走れること何事も楽しく年を忘れて頑張れる事は先生を始め役員さん走友の皆々様のお陰と深く感謝しております。何時まで情熱を持って走れるか、挑戦します。

ふれあい

岩橋 宗一

 人生は『ふれあい』によって変わる! 今にして思えばよくぞ続いたものだと思い、感謝する今日此の頃です。と申しますのは、十八年前から始めたランニングの事です。子供の頃からヤセで通って居り、長年75cm台であったウエストも、中年になっていつの間にか87cmにもなって、便秘がつづきよく風邪を引いたりして体調をくずして居りました。そろそろ何か出ているのでは?と思い病院で消化器管の検査をしました。さらに血液も採り、しかも4〜5日後に、その前日の夕食は採らずに来いとの事でしたが、その時は不安からその後の検査を受けずに何かいい方法はとばかり考えていました。

 そんな折、県庁前を4〜5人で走っている写真とランニングの効用を書いた新聞を見てよし!これだと思い、次の日、突然でしたが仲間に入れてもらうべく後について走りました。だんだん遅れて走る私に背の高いがっちりした方が戻ってこられ、並んで走って下さいました。そして私に「若い時、走っていたのですか」と聞かれました。当時は走る人も少なく特別の人達が走って居た頃でした。そして言葉をつづけ「若い時走って居た事を思って、やりすぎない様に、マイペースを守り走って下さい」と、色々アドバイスして下さいました。この人は学校の先生らしく思われしかもなかなか面倒見の良い方だと感じて居りました。

聖火リレー:火移しの儀:第一走者天野先生より岩橋さんへ 其の後わかったのですが、この方は県の教育委員会保健体育課長の天野耕兵衛氏とわかりました。それからも先生に付いていろいろ学び、走る事の喜びを身に付けてまいりました。やがて金沢中央走ろう会が出来、その天野先生は会長になられ、私も指導を受け現在に至って居ります。

 金沢中央走ろう会に入り、思い出に残るものは第20回金沢市民体育大会で当時の岡市長より賞状を戴き今でも茶の間に飾り、過ぎし日を偲んで居ります。其の後、能登島大橋完成記念ランニング大会に出場し、七尾から能登島役場の10キロレースを走友と共に走り抜いた事が思い浮かびます。其の後、妻も仲間入りして今年で12年間走り続け、平成元年の全国健康福祉祭ねんりんピック89(高齢者の国体の様なもの)に女子の部で県代表として出場、楽しく走って優勝しております。私自身も平成2年の全国健康福祉祭琵琶湖大会に出場し、敢闘賞を戴きました。

 こうしたことで、石川テレビの方が来られ「石川の窓」と題したテレビに出演しました。又東京のNHKからは、忙しいだろうが夫婦で欽ちゃんの「悠々くらぶ」に出てほしと航空券二枚送って来ましたので出演させていただきました。

 生きていて二度とは出場出来ない経験をさせていただきました。石川国体の思い出です。開会式当日は最高年齢者として炬火リレーに参加、右手に炬火を持ち上げ、神田陸橋をパトカーについて走りこえた事。これも夫婦で参加して任務を果たせた思い出であります。
早朝トレーニング また、開会式前日には早朝NHKの車に迎えられ、県陸上競技場の明日の開会式を待つ顔の紹介に私等夫婦と元気君と三人で競技場をかけまわり、アナウンサーの問いに答え、全国ニュースとして放映されました。

 これらのテレビ出演はすべてビデオに保管し、夫婦の貴重な財産として時々見て楽しんで居ります。

 数々の思い出を残し現在も健在で、仕事も現役。息子等の手伝いの様なものですが、物事にやる気と挑戦意欲の出るのはランニングできたえているお陰と思い、18年前天野先生と『ふれあい』、金沢中央走ろう会の走友諸氏との『ふれあい』を大切にして来たお陰と感謝の毎日です。

 走り出してから私の体調と性格まで変わり、人生観も変わりました。物事にはとかく足踏みするタイプだった私も何事でも積極的になり、昨年は金沢市高砂大学校に入学して大勢の方々とお知り合いになる事が出来ました。
 現在83期92人の方々に伝達事項などお取次する立場になって居ります。修了式当日は期を代表して謝辞をのべさせて戴きました。こうした事も走ろう会で鍛えて居ればこそです。

 私は大切な事をする日は朝30分位走ってシャワーをあびる事にして居ります。そうしますと何事にもひるまない心が自然に養われて居るのか、気負けする事がありません。
 又体調も良く高砂学校の三階位は走って上って居ました。足かけ19年の走りが我が人生を変えたと思って居ります。

機関誌『走快』12号掲載


【編集長レポート:2004/05掲載】
岩橋さん夫妻の紹介記事
 当会には、ご夫婦で会員、親子で会員など、家族単位で練習に来られている方が多くいます。
山出市長の前で選手宣誓 家族会員の最高齢、岩橋さん夫妻に登場いただきました。
『走快』4号(1985発行)に高齢者のランニングライフを特集しています。このなかで、10年後も走っていますかという質問に、
 岩橋宗一:この世に生きている限り、家内と一緒に仲良く走りたいですね。
 岩橋キク:そうです(うなずく)。
と答えられています。
 1996年:金沢市民マラソン参加者代表の宣誓文も掲載しました。今も変わらぬ気持ちと実践が継続されています。
 いつも例会で本当に楽しそうに走られるお二人。元気がもらえる笑顔が素敵です。お二人は、『走快』にいくつもの寄稿をされています。ここでは12号(1993発行)のものを紹介しました。
例会速報のなかでも元気な練習の様子をレポートしています。
 2005年1月_今年も元気な長老達→『新春例会速報&新年会特集』 
最近の大会参加の様子を掲載しています。→2006/05/23_楽々ランニング大会
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