金沢中央走ろう会/走快あらかると | |
40歳からのランニング人生 | マラソンに挑戦する会2005 |
和田 正 さん | |
2005年5月、フルマラソン200回目を完走 | |
【プロフィール】 40歳から健康のためにと始めたランニングが,面白く,好きになり,趣味となりました。距離も,少しずつ伸び,55年6月に15km,さらに25km。55年11月の河口湖マラソンで30kmを完走しました。 56年3月第2回篠山ABCマラソンで待望の初フルマラソンに挑戦しました。そしてトライアスロン・ウルトラマラソンへとエスカレート。 |
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生年:1935年 | |
走暦:昭和51年〜平成16年までの大会参加記録 5q55回,10q111回,15q28回,20q107回,30q40回,フル195回,トライアスロン41回,ウルトラマラソン29回,合計652回。 ※2005年5月:フルマラソン200回目(マラソンに挑戦する会2005) |
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※2010年、75歳で永眠されました。 |
走歴30年 | |||||||||||||||||||||
和田 正(金沢中央走ろう会) |
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私とマラソンの出会いは40歳の声を聞いた時です。毎日の車生活,デスクワークの仕事と体を動かすことが少ない毎日でした。「今後の健康管理について,これでよいのか。毎年続けている登山も年に2〜3回では,毎日の健康管理にはならない。何をやればよいか」と思いました。「施設や相手,時間に制約されないものは」と思いついたのは,ランニングでした。「これなら日常生活に取り入れるには最適だ」と思いました。 走りの経験のない私にとっては「まず基本を知ること」と研修会を受け,ランニングのノウハウを習いました。「ゆっくり長く」をモットーに40の手習いならぬ足習いが始まりました。今年は金沢中央走ろう会発足30年と聞きましたが,発足と同じ頃に走り始めていたとは不思議なつながりだったのですね。 入会は約15年後の平成3年の頃。私の走るコースは内灘砂丘アカシア林の中です。日本海や河北潟,遠くは白山立山連峰を眺めながら走れる眺望の良い自慢のコースです。 当時の早朝ランニングは2〜3kmと少なかったのですが,走った後に汗ばんだ身体をシャワーで流した後のさわやかさは何ともいえない気分で,体調も良好でした。 特に目標もなく健康のために毎日,走っていた時,新聞で市民健康マラソン大会を知り申し込みしたのが,51年4月に加賀市で開催された全国健勝マラソン日本海大会でした。初レースで苦しかったのですが,市街地を声援を受けながら走るのは,1人で走るとは違い,最高の気分でゴールラインを越えました。 以後,この大会には毎年,エントリーしています。今年は第30回であり,自分の走歴ともに歩んだ大会です。 健康のためにと始めたランニングも,面白く,好きになり,趣味となりました。距離も,少しずつ伸び,55年6月に15km,さらに25km。55年11月の河口湖マラソンで30kmを完走しました。もう少し走り込めば,フルマラソンに挑戦できると,大きな夢を持ちました。 56年3月待望の初フルマラソンに挑戦しました。第2回篠山ABCマラソンに挑戦しました。静かなとても素敵な城下町に,各地から集った市民ランナー約1100人。(現在は約8500人) 篠山城をスタート,多岐連峰を眺めながら,早春の丹波路を走りました。楽しい,苦しい,長いレースでした。3時間54分2秒で,初フルマラソンを完走しました。走り始めて5年目のことでした。 以後,レースの前日は妻とともに観光,当日はレースと,旅行と大会を同時に楽しむ方法で各地を走りました。 |
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思い出に残る大会は, |
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北陸は,冬場は天候が悪く,夏は暑くて走りにくい日が多いです。そこで,年間を通してやれるのはトライアスロンだと思いました。(冬はプール,夏は自転車。暑いが,風を切って走る爽快感がある)58年8月第2回トライアスロン石川大会に参加して以後,ショートの大会に毎年参加した。 50歳の時,走り始めて10年になりました。どれだけの体力がついたか試したかったことと,50歳の思い出にと,60年7月24日皆生トライアスロンに挑戦しました。「水泳3km,自転車104km,フルマラソン42.195km」を12時間32分53秒で初完走しました。来年は琵琶湖との思いで帰りました。 61年8月31日びわ湖大会で50歳台9位となり,想像もしていなかったアイアンマントライアスロン選手権大会に推薦されました。ワールドチャンピオンシップは「水泳3.9km,自転車180.2q,ラン42.195q」と未知への挑戦となります。大会までの2カ月を有効に使い,悔いなき戦いに挑む決意をし,参加の手続きをとりました。 10月15日大阪空港VIPルームで,選手団結団と完走を誓いあい,妻とともにホノルルへ向かいました。ホノルルでレイとキスの歓迎を受け,大会のあるハワイ島へ。広大な溶岩砂漠の中のコナ空港に到着。NHK取材班が待ち受ける中,タラップを降りました。チャーターバスで大会本部へ行き,登録手続きをしました。36カ国,1109名。うち日本人75名。国際大会の雰囲気の中で,ようやくたどり着いた安堵感と完走への不安が交錯する複雑な心境で,ゼッケン1046番を手にしました。 10月18日。この日のために用意した餅で雑煮を食べ,スタート地点カイルア桟橋へ向かいました。絶好のハワイ晴れ。7時スタートで長い1日の始まりです。深く,海底まで青く澄み切った南国の海。魚の群れに驚きました。 自転車は,コナの街を過ぎ,広大な砂漠の中にまっすぐに伸びるハイウェイを,島の北端ハウイへ向け走りました。3時間20分で折り返し,「いける時間帯だ」気持ちが高ぶりました。 コナに帰ると,日系人の日の丸を振っての「がんばれ!」と妻の声援に胸が熱くなりました。ランは空港の折り返し点に向い,6時を過ぎると太陽が水平線に沈む素晴らしい光景でした。 再びコナに近づき,素晴らしい夜景。煌々とライトに照らされ,再び熱狂的な声援が待ち受けるゴールへ。 14時間30分24秒。この大会でも,朝から14時間30分も長い間,応援してくれた妻を見つけ,手を振る姿に無言で応えました。大会関係者,ボランティアの皆様の協力のもと,長い1日が終わった感謝の気持ちでいっぱいでした。以後,22年連続41回のトライアスロン完走を続けています。 ウルトラマラソン初大会は2年5月,第9回マラソンに挑戦する会で,50q4時間30分45秒。5年3月,六甲山全山縦走10時間13分。10年7月,夜叉が池伝説マラニック130km,19時間4分14秒。10年9月秋田内陸リゾートカップ100km,12時間54分10秒。などなどを走り,以後7年連続29回ウルトラマラソンを走り続けています。 長いランニング生活の中には故障にも見舞われました。膝,腰痛,足のしびれ,足の筋肉がつる「こむら返り」,太り過ぎ(当時は80s,現在68s)などの故障にも出会いました。 特にひどかったのは,平成7年9月秋田100kmで膝が悪化し,半分でリタイア。応援に来てくれていた妻,野村時代子さん,大会関係者に助けられ,非常に惨めな思いをしました。8年4月ボストンマラソンを前にして膝が思うように回復せず,国立病院の整形の先生に「なんとかマラソンを走れるようにしてほしい」と願いました。先生も「走るようにしてやる」と一生懸命になってくれたのが忘れられません。たびたびの故障にもストレッチ,筋肉トレーニング,正しい食生活,積極的休養などを実施し,大事に至らず,回復しています。 走歴30年中,初めてのトライアスロン,初めてのウルトラマラソン,両方とも金沢中央走ろう会主催のものであり,当時は会員ではなかったのですが,私のランニングライフに大きな影響がありました。御指導有難うございました。 今年は古希を迎える年となり,その思い出にフルマラソン200回の完走を,初めて参加した大会であり,1回から30回までエントリーしている全国健勝マラソンで達成したいです。 参加した652回のすべての大会で走れたのも,家族の理解と協力,走友の皆様,会社,大会関係者の協力のおかげと,感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。 今後も健康管理と正しい生活習慣に気を配り,スポーツを日常生活に取り入れたライフスタイルで,フルマラソンは当面300回,トライアスロンとウルトラマラソンを合わせて100回を目指し,ランニングライフを楽しみます。 ※昭和51年〜平成16年までの大会参加記録 5q55回,10q111回,15q28回,20q107回,30q40回,フル195回,トライアスロン41回,ウルトラマラソン29回,合計652回。 |
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機関誌『走快』24号掲載:2005/03発行 |
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【編集長メモ】 いつも例会には、内灘町の自宅から自転車でこられます。 2004年7月の能登島ロードレースにも自転車で来場。練習ランニングや大会レースの前後に自転車のトレーニングが加わっています。『走暦30年』の随筆を読むと納得できますね。 和田さんは2005年5月、マラソンに挑戦する会でフルマラソン200回目を完走されました。私はその貫禄ある走りぶりを密着取材しました。 【写真特集:マラソンに挑戦する会2005】→和田正さん。200回目のフルマラソンを快走 |
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【編集長メモ2】2010/05 | |||||||||||||||||||||
和田正さんは、金沢中央走ろう会の会員で、走暦35年。75歳。 2010年4月18日の○○大会(岡山県)で通算299回目のフルマラソンを完走。300回の節目の大会は、『第29回マラソンに挑戦する会』で迎えることになっていました。 残念ながら前走した大会直後に急逝されたのです。大会名簿に掲載された和田さんの名前、しかしその姿をみることはできません。 会員の用意した完走記念の横断幕は、フィニッシュの予定時間にフィニッシュラインに掲げられ、無言の完走を見守ることで、在りし日の和田さんを偲び、ご冥福をお祈りしました。 【写真特集:マラソンに挑戦する会2010】和田正さん。300回目のフルマラソンを目前に逝去。 |
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