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走・快・ひ・ろ・ば |
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健康ランニングを満喫する方からの投稿を紹介します |
金沢レディスジョギングクラブの活動紹介:1993年会報から |
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写真集 | ■活動のひとこま |
■走快12号/走快23号に掲載された随筆を紹介します。 | |
■活動のひとこま |
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初期の頃の金沢レディースJCのメンバー |
練習会場は中央体育館 |
■随筆 | 随筆(1993年版) | 会員名 | 会報掲載 |
■金沢レディスジョギングクラブ | 関沢 昭子 |
走快12号 | |
■楽しいランニング | 越田 やす子 | 走快12号 | |
■生活に溶けこんだジョギング | 広瀬 巳恵子 | 走快12号 | |
■ジョギング2年の思い出 | 古賀 良子 | 走快12号 | |
随筆(2004年版) | |||
■この頃思うこと | 高田 はつ枝 | 走快23号 | |
■楽しみながら永くランニングを | 村中 幸代 | 走快23号 | |
■リバーサイドランナーからシティランナーへ | 斉藤 和美 | 走快23号 | |
■金メダル受賞 | 三好 美智子 | 走快23号 | |
■私の健康づくり | 林 裕美子 | 走快23号 | |
■走ることを楽しみに | 越村 外子 | 走快23号 | |
■腸脛靭帯炎と仲良くなりたい | 牧野 久美子 | 走快23号 | |
■これからの自分の走り | 川口 和美 | 走快23号 | |
■大好きな時間 | 中島 啓子 | 走快23号 | |
■私の健康はジョギングから | 広瀬 巳恵子 | 走快23号 | |
■楽しみながらのジョギング | 古賀 良子 | 走快23号 | |
■老いてはオシャレ | 木谷 登久子 | 走快23号 | |
■筋トレを | 本田 万里子 | 走快23号 | |
■今、思っていること | 茶谷 五百子 | 走快23号 | |
■わがジョギング人生に悔いなし | 越田 やす子 | 走快23号 | |
■楽しくゆっくりと | 中村 久子 | 走快23号 | |
■走る楽しさ | 新蔵 由美 | 走快23号 |
■金沢レディスジョギングクラブ |
関沢 昭子 |
金沢レディスジョギングクラブが出来てもうすぐ11年になります。最初は56年の5月ごろにジョギング教室(天野先生が募集)として始まり、1年後にクラブとなったのです。 週に2回、月、木の午前10時から12時に体育館で走っています。メンバーは皆主婦で、年齢もまちまちですが、楽しくマイペースで走っています。(おしゃべりが多い)毎年天野先生の教室を修了した人たちの中から2人ほどクラブに入りますが、辞める人もいるのでいつも20人前後の人がメンバーとして所属しています。 場所も前の中央体育館、県体育館、新しい中央体育館と変わりました。始めは走ることのできなかった私たちですが、年数がたって来るごとにいろんな大会に参加したくなり、それを目標にするようになってきます。今までにクラブとして参加したのは、加賀女子駅伝に4〜5回(今では実業団の大会になったみたいです)。昨年は10時間走レースに参加させてもらいました。一番成績が悪いチームでしたが、皆で力を合わせて頑張りとても楽しい思い出になりました。できれば今年も参加したいと思っています。 個人のレースは近い場所に有ると子供さんといっしょに参加する人が多くなっています。でも子供が大きくなるとだんだんいっしょに出てくれなくなりますが、遠くの大会に参加しやすくなります。皆の夢とか目標は一度はホノルルマラソンに出て見ることです。私たちの参加は完走することが一番だと思っていますのであまり時間にこだわりません。 その他に時間の都合のつく人たちで犀川の河原を走ったり春は花見をしたりします。もっと前には森林公園や健民公園に弁当を持って遊びに行きましたが、パートに出ている人が多いため今はすることが出来なくて、半日で帰れる範囲で遊びます。私たちはいつも天野先生や中央走ろう会の人にお世話になっています。 |
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■楽しいランニング |
越田 やす子 |
○走り始めた動機 主人の転勤で福井県の芦原に3年間住んだことがあります。はじめての土地ですぐに馴染めず、ストレスから体重が10kgも増えてしまいました。このままではいけないと思いっいたのがジョギングでした。主人は以前から出勤前にジョギングを続けていたので私も一緒に走ることにしたのです。普通の日は朝6時から30分程度、休日は1時間かけて走るのです。雨の日も吹雪の日も年中無休で走りました。これが走るきっかけになりました。 ○先ずかがとからが大切 走りはじめの頃はよく転びました。身体が重い上に足が上がらないのでちょっとした地面の段差や小石にもつまずいて転びました。 打撲で膝が紫色に腫れ上がり、歩行困難にもなりました。走り慣れていなかったことと前へ出ようとする気持ちが原因のようでした。しかし、もっと大事なことはかがとから着地しなかったことです。初めはどうしてもつまさきが先に着地してしまいます。これがいけなかったのです。後に、天野先生から最初に指導をうけたことは、このかかとからの着地についてでした。今では無意識にかかとからの着地ができるようになったと思っています。 このくせが歩き方まで変えたのでしょうか? 雨の降る日の泥はねが少なくなりました。よい副産物ができたと喜んでいます。 ○おかげ様で 先日バイクで走行中、滑ってころんで膝頭を強く打ち、しかも両手もついてしまいました。すごい痛みですぐレントゲンで、写してもらいましたが、幸いにも骨に異常はなかったようです。カルシュームを多くとっても運動をしていないと骨にはならないそうです。その後も膝に内出血が残り腫れ上がったままですが、これの特効薬は走ることだと聞いて驚きました。 実はランニングが固まった血を散らしてくれるというのです。二度びっくり。ランニングのおかげ様です。ありがとうございます。 先日のことです。めずらしく朝一番に体育館へ着いた日の出来事です。ストレッチ体操を軽くすませてから、走る通路の椅子を整理しながら何気なく入口を見ると、そこからNさんが人気のない室内に向かって深々と頭を下げていらっしゃるのが目にとまりました。それは何かすがすがしい良いものを見たような気がしました。Nさんは走りはじめてからその日が丁度6ヵ月目、その間ずっと風邪一つひかず皆勤で健康で走れたことをことの外喜んでおられました。おかげ様の気持ちが伝わってきました。私もシャワーを浴びながらいつも話しています。昼間からこうして走りに来られるのも家の人の理解のおかげで、健康のおかげと。 ○走ることは楽しい 誰もが健康維持のために走りはじめるのですが、そのうち楽しむために走るようになるものです。楽しくなければこんなに続けられるはずがありません。楽しさいっぱいのランニング。仲間が大勢いる。いつもの顔がある。 走りながら話す家庭の話題、面白いネタ情報の交換、快い汗、走り終わったあとの爽快感、満足感、心地よいシャワー。どれもこれも楽しみでないものはありません。次のランニングの日が待たれます。その日を待つのも楽しいものです。 |
走快12号(1993年3月)掲載 |
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■生活に溶けこんだジョギング |
広瀬 巳恵子 |
私がジョギングを始めて今年の2月で満3年経ちました。以前は水泳をしばらくしておりましたが、水泳の後必ずと言っていい程、顔が赤くなって痒くなる様になりやめてしまいました。 何か健康のためにしなければと思っていたところ、友達より金沢レディースジョギングクラブのことを聞き早速入会致しました(その友達はやめてしまいましたが…)。 最初天野先生より歩き方、歩幅、手の振り方等きめ細かなご指導を頂きました。先生の特別メニューをこなし、10分程走り続けるとヘェヘェ言っていましたが、30分程走れる様になった頃はどっぷりとランニング中毒にかかってしまったのです。しばらく走らないと走りたくなるのです。おかげで今では1時間は走り続けることが出来る様になりました。 平成2年2月に走り始めて、その年の5月3日の「マラソンに挑戦する会」に初出場致しました。私がそんなに走れるはずがないと尻ごみしていたのですが、天野先生の「ゆっくり走れば大丈夫」というお言葉に乗せられて思い切って出ました。 当日その会場に行って驚いたことは、何と私より年配だと思われる方が大勢いらっしゃったことです。そしてその方達がマイペースで精一杯走っていらっしゃる姿を拝見して、本当に感動しました。 私も一生懸命頑張りました。いまは亡き山下ヨネ子さんと一緒に走ったのが思い出になっています。体育館の中だけで30分程走ってあごを出していたのに、途中1〜2回歩きましたが1/4マラソン(10.546km)完走できました。生まれて初めてのトロフィーを手にした時の感激は今でも忘れることが出来ません。そして平成3年の「マラソンに挑戦する会」には10km、平成4年には20kmに挑戦して2時25分で完走しました。"継続は力なり"という言葉を身にしみて感じたことはありません。本当に走っていて良かったと思いました。 この3年間「トリムマラソン」「ピースラン」「女性ランニング」「10時間走マラソン」「猿鬼歩こう走ろう健康大会」「かんぽ健康マラソン」等に出場し、それぞれ沢山の思い出を積みました。 かって趣味の編み物で慢性的な肩こりで悩んでいましたが、ジョギングをする様になってからはすっかり忘れてしまいました。肩がこっても走るとすぐ治る様です。又、毎年冬寒くなると足指のしもやけで困っていましたが、暖冬のせいもあるかもしれませんが、ずっと症状が軽くなり喜んでいます。 ジョギングを始めてからはお友達が増えました。走りながらのおしゃべりもまた楽しいものです。家族のこと、趣味のこと、料理のこと、テレビの話題etc…。あっと言う間に時間が経ってしまいます。 走り終わってからのシャワーは何にも代えがたい充実感があり、こうした時間を持てることに、家族への感謝と幸福感を味わうのです。 又、生活のリズムが変わりました。週2回午前中ジョギングに体育館へ行くとなるとその時間をひねり出さなくてはなりません。自営業のため夫と姑の昼食は必ず用意しなければなりませんので、その前日から段取りをします。そしてその日はいっもより早目に起床して家事と店の用事を手早くすませ、意気揚々と体育館に向います。私にとってジョギングはもう生活の一部になってしまったのです。 平成4年の1年間のランニング距離のトータルは680kmでした。今年も1月2日の「初詣寺社めぐり」に始まり、どんなジョギングライフになるか楽しみです。一度は挑戦したいホノルルマラソンに向けてマイペースで走り続けます。 チャレンジ精神をいつまでも持って、心も身体も健康な人生を送りたいと思っています。 |
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走快12号(1993年3月)掲載 |
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■ジョギング2年の思い出 |
古賀 良子 |
私は、ジョギングをはじめて、まだ2年、実績もなく何もわかりませんが感じたことなど書かせていただきます。 ジョギングを始めた動機は一昨年の2月に主人から「ジョギング教室へ行けば身体がすっきりして、何ともいえない爽快な気分になるし、肩のこりも治るようだ。」と勧められたのがきっかけでした。 レディスでは、天野先生や諸先輩の暖かいアドバイスやご指導を受け、今では10km位は走れるようになりました。1人で走るより、みんなで走っていると一定のリズムを保っことができるので、楽しく練習できます。 私は夏になると登山をしておりますが、この登山にもジョギングの効果があり、大変うれしく思っています。 ジョギングの1年目は、距離を延ばすことに精一杯で、ランニング大会に参加など思いもしませんでしたが、2年目に入ってからいろいろな大会に出る気になり、5月には「マラソンに挑戦する会」で10kmを、9月6日には「10時間リレーランニング」で第1走と第3走を受けもたせてもらいました。 リレーランニングは、みんなの協力で無事完走しましたが、途中、選手に激励の言葉をかけ合ったり、飲物、食べ物の差し入れもあり、ジョギング愛好者が集まると、走力の差など関係なく友情が深まるものです。 次に忘れられないのが9月19日に参加した「世界夕ートルマラソン伊勢大会」です。私は、わずか5kmの挑戦でしたが、伊勢の自然の中で緑の風を胸一杯に吸いこみ、爽やかな汗を流し、ゴールした時は満ち足りた気分になりました。また、大会のスケールの大きさ、地元伊勢市あげての協力、沿道の声援、大勢の友達との出会い、など、思い出深いものがたくさんあり来年も参加しようと決意しました。 今年の目標は、20kmの完走です。走れることの健康に感謝し、さわやかに豊かな人生を過ごしていきたいと願っています。 |
走快12号(1993年3月)掲載 |
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【編集長メモ】 |
金沢レディスジョギングクラブの活動紹介の記事を収録しました。会の発足が1982年です。紹介記事は、1993年に作成されたものです。入会2〜3年目の会員の随筆からは、ランニングに対する思いが伝わってきます。現在では、活動の中心になっておられます。 |
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