マラソンに挑戦する会1979 大会コラム
第1回マラソンに挑戦する会=会員の希望から始まった。 2021/08/30

マラソンに挑戦する会 誕生ばなし
 【マラソンに挑戦する会】=大会名ではなく、練習会のような名前です。それもそのはず、もともとは金沢中央走ろう会の内部行事でした。会のアンケートの中で「長時間走ってみたい。できたらフルマラソンを走ってみたい」という意見があり、急遽1ヶ月後に走ろうと決定したのです。(走り込む期間もなく、無茶な話ですね)
 当時は市民ランナー黎明期で、県内で行われる大会はごくわずかでした。フルマラソンにいたっては中日福井マラソンと中日富山マラソンという陸連登録者を対象にした大会はありましたが、石川県にはフルマラソンの大会はありませんでした。
 そんな急仕立ての挑戦会を1979年(昭和54年)5月13日(日)金沢市法島町の犀川左岸で行いました。参加者は会員38人(うち女性9人)。おそらく、石川県内において、陸上競技経験者ではない市民ランナーがフルマラソンに挑戦した最初の会かと思います。
コースは犀川左岸。上菊橋〜桜橋の1kmを往復。
コースは犀川左岸。上菊橋〜桜橋の1kmを往復。

 何せ初めての会ですから、すべてが手探り。コースは、河川敷の片道1kmの往復コース。記録はきちんと2kmごとのラップをとりました。給水はというと、その頃は、スポーツドリンクはありませんし、ペットボトル飲料もありません。使い捨てる紙コップもなく、プラスチックのコップをバケツの水ですすぎながら使っていました。初期の頃はパン、レモン、飴を用意していました。今ではおなじみのバナナなどを用意したのはそれからずいぶん後のことです。
 スタートは6時半。爽やかな天候で、11時で17℃と涼しく絶好のコンディションでした。走ろう会が始まって4〜5年の頃ですから、皆、一応の基礎はできていましたが、日々の練習で10km以上走る人はまだまだ少なかったです。
 11時頃を最終時刻と設定しました。つまり、今でいう制限時間は4時間30分。当時「制限時間」という制度はなかったです。(中日福井マラソンも当時は制限時間なし。遅くともkm4分台で走るのが普通でした。私の初挑戦は3時間30分で最終ランナーでした)
 フルマラソンを完走したのは5人で、最高タイムは3時間47分でした。あとの方々はそれぞれの限界まで走りました。当時の感想文を見ると、多くの方が30kmあたりから脚が重くなり、たいへんだったことがうかがえます。
 ところが、初めてのフルマラソン挑戦は無謀だったと思った人も、しっかりとこの経験を生かして、次のフルマラソンに挑戦していったのです。
2021年8月30日 代表野村泰裕記

マラソンに挑戦する会写真集大会のあゆみと記録

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