金沢中央走ろう会/ホノルルマラソン完走記録
市民ランナーが主役ホノルルマラソンを走る
金沢中央走ろう会代表 天野 耕兵衛
アロハタワースタート

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 ざわめきが遠ざかり、ランナーの足音がざくざくとひぴく。軽ろやかなリズムであるがこれが何時まで続くのであろうか。
 前にも、、横にも道巾一ぱいの人、人。女性が多いのが目につく。参加者の二割が女性だという。たくましい体つきの外人さんにぶつかったらはねとばされそうである。スリムな体格の人はあまりいない。胸のあたりの筋肉がだぷついて走ると上下にふれるようなからだつきの人たちである。
 海軍の軍人さんもいる。二十才代から四十才代の働き盛りの人が多いようだ。中には中学生や小学生らしい幼い顔をしたランナーもいる。ホノルルの朝早い下町を走る波が続く。後方よりすばやく追い越す人はほとんどいない。粁あたり6分位のゆっくりしたぺースである。息ははずまない。
 スタートをして二十分ほどたった頃、右側の広い公園から突然走り出るものが数人相ついだ。ゼッケンが胸にある。悪く考えるとスタート前にスタートをしていたとも考えられるが、ここでは用便をしていたのだということにしておこう。
 両側の歩道では、スタートして以来、応援の人は途切れないほどである。大きなホテルでは特に多くの人が出てかん声をあげる。それに答える人もいる。三十才すぎのスリムでいかにもランニングを積み重ねたというきれいな走り方をする中背の美人ランナーがさかんに沿道の人たちに「サンキュー、サンキュー」とあいそを振りまいているのが愉快である。この女性とは十五粁あたりまで並走をしたが、どこかの公園の便所へ入っていって以来会えなかったのは残念だった。
 ワイキキの海岸通りに出たのは六時四十分すぎ、空も明るさを一段と増してきた。雲はほとんどない。気温は二十度はとっくに越えているようだ。ひじのあたりから汗がボタボタ落ちるようになる。日本で走ったときでもこんなことはあまり体験していない。背や胸は汗でじっとりとしている。今日は気温が高くなるからとはやる心を押えて、前の人とスピードを同じくしていく。
 カピオラニ公園に入る。左が動物園。木のトンネルに入る。ここで第一回目の介護所があり、給水をうける。本大会には1500人のボランティアの人たちがバックアップをしてくれていると聞いているが、ここの人たちもそのメンバーである。
 「コーラ」「ワーター」と両側から紙コップを差出してくれる。七粁あたりでもう水を飲むようでは先きが思いやられると思ったが、暑さを考えてコップをとって「サンキュー。」二十才前の若い女の人たちで、朝早くからこうしてサービスをしてくれるのに心から感謝する。
 二口飲んでコップを捨てる。路上一面の紙コップの上を走る。
 ランナーはこのあたりで十人位の巾で、列は途切れない。道巾ほぼ一ぱいである。あと3時間走るとこの公園にゴールインするのかと横目ににらんで走る。
 カピオラニ公園はワイキキのホテル街とダイヤモンドヘッドの間にある。長さ、巾とも一粁もある大きな芝生の広場で、中にゴルフ場、サッカー場(二面)テニスコート(三面)備え付けの体力づくり器具も一隅にある。点々と大きな緑陰をもつ木も植えられて、かっ好の日除けとなっている。冠りが赤い鳩を小さくしたような鳥が近づいてくる市民の体力つくりと憩いの広場である。
 勿論、ジョギングには最適で、私たちも朝夕この広場を走らせてもらった。
 その公園をぐるりっと半周して、ダイヤモンドヘッドにさしかかる前に5マイルの地点がある。アメリカはマイルが使われており5マイル毎にデジタル時計が通過時刻を示してくれている。

万全の介護体制
 私たちは前日の午後、最後のミーティングをした。各入の走力に応じて予想目標タイムを作った。ある人は2時間40分、ある人は3時間30分、71才の松島さんは8時間だと気勢をあげる。
 私は平均1粁当り5分10秒とし、5マイル41分20秒、10マイル82分40秒、そしてゴールの26マイルは3時間36分56秒と計算した。
 ところが5マイルの時計は45分ジャストを示したところを通過した。4分ほど遅れている。
 この調子では、3時30分台は夢で、4時間もかかることになる。しかしあせってはならない。脈拍はまだ分あたり130回ぐらいであるから楽である。しかしこれからダイヤモンドヘッドの坂道を上るのだ。このままのスピードでいくと脈拍は150回になる。するとあとが続かない。歩巾を少しつめて、ぺースを落して坂道を上る。午前7時、すっかり夜があけて、右手眼下に広々とした太平洋が望まれる。左手はダイヤモンドヘッドの岩石が露出した崖が続く。そしてゆるい下り坂になる。
 このあたりから高級住宅が両側に続く。広々とした前庭に椰子の木やさまざまの花をかざる木々が植えられている。冬であるから花の少い時期であるが、夏の前後は花で一ぱいであろう。右側の家の裏はすぐ海。あくまですき透る海水である。ハワイヘ移住してきて粒々辛苦、成功した大金持の人たちの住む家だという。この家の人たちも一軒残らず道端へ出て声援を送る。はるか前方何粁つづくかわからないが延々長蛇の列が続く。このあたりはまだみんな走っている。大きな小立ちの陰を伝って右側を走る。下り坂でもあるから少しスピードが出てきた。少しずつ前の人を追いこしていく。一粁あたり4分50秒位で走る。
 気温が高くなってきた。湿度が低いので、汗びしょりという感じはないが、介護所ごとに飲みものをとる。脱水状態になることは避けていきたい。2番目の介護所からはスポンジも用意されている。冷たい水がふくまれているから、頭からその水をかける人、うなじにつける入、水を吸う人、様ざまだ。このスポンジは、何度も使うので介護所から少し離れて大きな籠をもって待つ人がいる。その籠に入れないと次の介護所まで約3マイルをスポンジを手にして走ることになる。
 ゴールインをする人の中にそのスポンジを3つもっていた人があった。どんなに暑くて苦しかったかよくわかる。
 ちなみに和文の大会要領の介護所の項には次のように書かれている。
 "介護所は全部で15あり、どこでもコカコーラと水が飲めます。約200ccのカップには薄めて炭酸を抜いたコカコーラが入っており、約200ccの普通のカップには水が入っています。
 最初のステーションを除いて冷たい水に浸したスポンジが用意されていますが、これはくり返して使うために、その場で返すか、あるいは、次のステーションで返して下さい。路上には捨てないでください。
 それぞれのステーションで医師の手当をうけられます。もしレースを放棄した方が良いと思われる時は、ここでやめるのが最も適当です"とある。
 登録された最後のランナーのゼッケン番号は9999であると本部の役員のもつコピーには印刷してあった。日本のようにランナーの氏名などを印刷したプログラムはくれないので一時は一万人走る大会といわれていたが、大会後のホノルル放送の日本語放送によると、実際に出走したのは7556人、そして完走したのは約7200人(下2ケタは記憶なし)だという。そして最年長者は85歳の日本の財津さん タイムも最長記録で10時間54分で完走(完歩)したという。
 私たちのグループでも71才の清水さんが5時間5分、71才の松島さんが7時10分で完走している。
 これだけ多くの人が、そして85才から小学生まで、あの高温(28度前後)の中を走るか歩くかは別として、金沢市から加賀市までの長い距離をがんばり通すことができたのは、この介護所などでサービスをしてくれた多くの人たちの陰の力があってのことである。自分のことのように「コーラー」「ワーター」と大声をあげてコップ(赤印刷はコーラー、茶印刷は水と色分けまできちんとしてランナーの便をはかってくれていた)やスポンジを差出して激励してくれたボランティアの若い人やご婦人たちの姿は忘れることができない。

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機関誌『走快』1号掲載
ホノルルマラソン写真集

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