金沢中央走ろう会/ホノルルマラソン完走記録

市民ランナーが主役〜ホノルルマラソンを走る〜

金沢中央走ろう会代表 天野 耕兵衛

トップランナーたち

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 9マイルの介護所をすぎたところで別のハイウエーを走る。ほぼ直線で平坦、木陰のないつらいコースである。しばらくいくと、パトカー2台に先導されて、やせぎすで長身のトップランナーがくる。ゼッケンが12であったろう、不規則な折返し方式(一部周回コースあり)のコースであるからトップランナーのタイムは予想できないが、あの暑さの中で苦しそうな表情も見せず素晴しいスピードであっという間もなく走り去った。対面で走る仲間から大きなかん声と声援が飛んだ。
 2位、3位とかなりの距離をおいて走り去る。日本の選手が早くこないかと祈るような思いで待っていたが10番目位でやや小柄な選手がきた。かなりきつそうな表情を見せている.思わず「がんばれ」と叫ぶ。
 先頭グループは総じて長身で、やせぎす、ぜい肉はない。10番から20番目の間に女性の選手がきた。ゼッケンは2でなかったか、男まさりのエネルギッシュな走り方である。あの調子ではかなり良いタイムが出るのでないか、福岡マラソン4連勝のフランク・ショーターもこのあたりにくる。仲間から一きわ高いかん声が上る。
 かってのボストンマラソンの覇者山田敬蔵さんは50才近いはずだが100〜2200番の間を走ってきた。ひときわ小柄なので「ボーイ」と間違えられるほどであるからすぐわかる。寺沢徹さんも走っていたのであるが姿は確認できなかった。

「ケンロクエンがんばれ!!」
 13マイル地点で、中間点という公式な標識はあげられていなかったが、「ここが中間点、ゴーホーム」と大声で教えてくれた市民がいた。時計を見たら7時50分、1時間50分かかっている。目標の3時間30分はむつかしいが4時間をオーバーすることはないと考えたが、少し気落ちした。しかし、これからの一歩一歩がゴールに近づくのだと気をとりなおして走り続ける。
 周回コースにかかった頃である。ひとりの中背のランナーが突然右側へ寄った、足でもけいれんを起したのかなあと思うと、歩道にいた婦人とやにわにだき合った。そしてキスをしている。応援の妻とランナーの夫の抱ようだ。最後まで見届けるわけにはいかなかったが、まわりの人たちはかん声もあげないし拍手もしない。する元気がないのか、無視するのがエチケットなのかしらないが、市民ランナーのためのホノルルマラソンの一面をかいまみた思いがした。妻の励ましのキスで彼は勇気百倍、完走したことであろう。
 周回コースはハワイカイと呼ばれる地域で海風はなくなり、木の緑の少い新しい住宅地帯である。左手の沿道から「金沢」「イシカワ」とかいう声がかかる。ランニングシャツの文字や県体協のマークをいち早く読み取った日本からの移住民か、日本をよくしる米人であろう。
 千人ほどといわれる日本のランナーのほとんどは日本の文字をつけていないので私のものが珍しいのかもしれない。金沢をよく知っている人がいて、「ケンロクエンがんばれ」といったのには驚いたり、励まされたりした。
 15マイル地点で、中間点のチェックをビデオでしていた。ゴールの順位や記録の確認も全部ビデオでするあたり、さすがである。
 空は雨期だというのに相にく雲がない、さんさんと南国の太陽がふりそそぐ。もう直射日光下では三十度近くでないのだろうか。介護所ごとに水かコーラーをのみ、スポンジで頭を冷やす。シャツもパンツも汗びっしょり、スピードは一粁あたり5qである。
 17マイルをすぎたところで付近の人たちが風船を4〜5列につなぎ門をつくって迎えてくれる。そして気安く声をかけてくれる。大声を張り上げて声援してくれるので、また元気を出して走りつづけることができる。
 市民とランナーが声をかけ合い、手をあげてこたえることがずっと続いている。
 中には久し振りにあったのか中年の男性が歩道で手をとりあって喜びあうシーンもみられた。

スピードダウン30km
 このあたりから、前の人たちのスピードがだんだん遅れてくる。マラソンレースの一つの壁である30粁が近づいてきたのだ。
 数年前に多摩湖30周のフルマラソン大会でマラソンの初体験をしたとき、30粁あたりで体力の限界がきて、地獄をのぞいたような思いがして、少し歩いたことがあった。
 今度はそれほどではない。かなり余裕がある。脈拍も150を越すほどではなく、呼吸も楽である。心配した高温も湿度が低いので助かっている。また9月から11月までは月に約300粁の走り込みをしたのも原因であろうが、とにかくスピードはそんなに落ちないし、足の運びもスムーズである。復路のハイウエーに出る。意識もはっきりしており、往きに家の前で朝食をとっていた家族も思い出した。関西の某大学の合宿所前で日の丸をかかげて「がんばれ」とひときわ高く声援をしてくれたのに手をあげて笑ってこたえることもできた。
このあたりだった。仲間の松島さんと会う、71才という高齢とジョギング歴が浅いので最も心配している人である。疲れはみえず、いつものように左手を深くまげて小股に歩を運ぶ。この調子だとゴールインまで8時間かかるのでないかと思い、途中でバテないことを願って「ゆっくり走りなさいよ」と声をかけると軽く手をあげるポーズをとってほほえんでおられるのでちょっと安心した。
 20マイル(約32粁)で時計のタイムが出ていたが、何時間だったか記憶がない。あと10粁走ればよい。一時間たらずだと思ったが、これまで沿道の素晴らしい風景に目をやったり周囲の仲間のことなどと気を配ったり、あれこれ考えたりしてきたが、このあたりから、考えることがいやになってきた。ただただ前方を見て、足を交互に動かす、しかもなるべくエネルギーの消耗をしないように、地面すれすれに足を運ぶことにしている。
 いよいよこれからがマラソンの正念場である。
 辛く、苦しいのは自分だけでない、前の人も横の人もみんなひどいのである。その辛さに耐えてはじめてゴールインがあるのだと言いきかせて歩を運ぶ。仲間がかなり歩きはじめてきた。列も1〜2列となって細長く延々と続いている。
 22マイル付近のハイウエーを下りたところでハワイアンのバンド演湊をして踊っていた。
 往きのときはその音楽を楽しむゆとりはあったがいまはそれもない。見ないようにして、先きにある給水所へいそぐ。
 青木功がプレーをしたというゴルフ場も目に入らない。ハイビスカスの高い垣根も目にはない。あと40分ほどでゴールだとひたすらそれを思う。
 いよいよダイヤモンドヘッドの二段の坂道にさしかかる。きつい坂になるだろうと覚悟をしていたせいか、そんなにひどくはない。
 日本から来た小学生と父親のペアを抜いたのはこの坂のとっつきだった。「強いね」思わず声をかける。2人とも苦しい表情はなく淡々と走っているのには感心した。
 もうここまでくれば、すでに前々日に試走をしているのでコースは十分わかっている。

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機関誌『走快』1号掲載

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