走快:ホノルルマラソン1981 | ||
1981年12月13日。第9回大会の完走記録 |
市民ランナーが主役〜ホノルルマラソンを走る〜 | ||
1ページ | ●ホノルルマラソンを走る ●印象的なセレモニー |
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2ページ | ●アロハタワースタート ●万全の介護体制 |
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3ページ | ●トップランナーたち ●『ケンロクエンがんばれ!!』 ●スピードダウン30km |
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4ページ | ●ゴール目指して ●閉会式付近の風景あれこれ ●閉会式 ●『ジロー・マツシマ・ジャパン…』 |
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5ページ | ●七時間ランナー・ゴールイン ●TVで録画放送 ●ホノルルマラソンに学ぶもの |
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6ページ | ●写真のページ | |
機関誌『走快』1号(1982/02発行)掲載 |
金沢中央走ろう会/ホノルルマラソン特集 | |
■市民ランナーが主役 | |
金沢中央走ろう会代表 天野 耕兵衛 | |
●ホノルルマラソンを走る | (1/5ページ) |
中天には満月をすぎたハワイの月がこうこうと輝いている。 午前三時半起床、四時二十分ホテルロビーに集合、メンバー九人の顔には軽い緊張感が見られる。初めて四二・一九五粁を走ろうという人が多いのだから当然であろう。すぐにでもスタートの出きる服装の人もいるし、長そでシャッにランニングズポンに身を包む人もいるが、そんなに寒くは感じないのは緊張感からだけではない。真暗なワイキキ海岸通りに出ても日本の夏の早朝の感じで、すかっとしている。ハワイの暖い気候が、身体をリラックスさせてくれているようである。 すぐ近くのカピオラニ公園でスタート地点へ輸送してくれる無料の市バスに乗る。日本人はもうとっくに出発してしまったのか車内は殆んど外国人である。睡気から十分さめないのか、陽気な談笑はまだ出ない。 午前五時すぎ、スタート付近の税関へ近づくとランナーを乗せたマイカーが目立つ。静かな日曜日の早朝である。税関付近で下車、みんなゆったりと歩いて登録所でチェックをうける。どうしたわけか九〇〇〇番台の日本人のチェックはない。係の横を通過しただけで終ったようだ。そこで車椅子の日本人に会う。東京から参加した三十歳台の選手である。はじめてマラソンを走るのだが、がんばりますと大張り切り。仲間と記念の写真をとる。 付添いのお父さんも大喜ぴ。お互いに健闘をたしかめあい別れる。 税関を出て広場の便所の列につく。二十あまりの仮設便所がずらり並んでいる。それぞれもう二十人あまりの列ができている。約三十分ほど待って二回目の排便をする。真暗なボックスの中で手さぐりの体験ははじめてである。走りはじめてから便意をもよおしては大変だから万一のことを考えて、ビニール袋とハンカチ、紙を準備してきたが、これでまずひと安心である。 さきほどまで「三時間から三時五十九分までのランナーはここに集まってほしい」とさかんに叫んでいた場所へいくともう誰もいない。水を少しのみ、大きなテントにかこまれている男性専用の便所をのぞき、三三五五、ランナーの動きにつれて歩くと、片側四車線の大きなハイウェーに出る。さきほどの軽やかなバンドのメロデーもすでにない。左に折れてしばらくいくと人、人、人がいる。ランナー、付添い、見物の人を含めて一万人はいるはずだ。ここがスタートラインだ。左が海、船も見える埠頭。右手や後方には三十階は有にあるビルが数本たちならぷ。ハイウェーの中央に高さ七米あまりの櫓が組まれ、係員がもう立っている。そのそばの地上には二時間台に走る人というプラッ力ードがあげられ、細いロープがはられている。招待選手と思われるゼッケン番号の若いランナーの姿も見られる。あと十分でスタートをするが、このうちの誰が、どんなタイムで先頭を切ってゴールインするのかと考えたが、それもすぐ消えた。頭の中は気温の高い中を四十二粁という長い距離をどうして走り抜くか、そしてどんなタイムでゴールインできるかということで一ぱいになる。 共に参加した仲間は、自分たちの予想走行時間に応じて、それぞれの位置についていてバラナラになっている。自分のペースを保って元気に完走してほしいということもチラリと頭の中をよぎる。 二時間台で走るというランナーは千人もいたであろう。しばらくいくと三時間台で走るランナーのプラッカードが見えたのでロープを越えて中へ入る。この人たちと走るのだと思うとライバル意識が燃えあがってよいのだがそれはなく、お互いに励まし合って完走を目指して走ろうやないか、万一へぱったら頼むなあというような気持になる。年をとったせいか、マラソンという体力・気力の限界近くに挑戦をするレースの特質からくるものなのだろうか。 ニミッツハイウェーは三時間ランナーで一杯。もう何時でもスタートOKとぱかり突立っている人、軽くひざの屈伸をする人、隣りの友人と談笑する人、強い準備運動をする人は見かけない。できるだけエネルギーの消耗をさけているようにも見える。 海岸よりに出て海を見ていると、隣りの人が英語で「東京から来たのか」と問う。金沢中央走ろう会というランニングシャツの文字を見て問うたのであろう。「京都の近くの金沢だ」といったら「きれいな町だ」という。京都の町のことをいっているようだ。そして「日本人は何人参加しているのか」と問う。私がしぱし答えに窮していると、その外人の友人が「千人だ」といった。私もホノルルについてからうわさではそう聞いていたが。そんなに参加しているのかと再確認をして内心驚いた。それにしてもまわりには日本人はそんなに目立たない。さすが集団行動の得意な日本人ランナーも予想タイムごとに待機位置が示されているので、グループが分解してしまったのだろう。 日本のランニング大会では、ゼッケン番号順に並ばせられるのが常である。早いものが後方にいて、スタートをするや前方の遅い方をどんどん追いこしていき危険な事態も起りかねないのであるが、この大会のように走力に応じて位置するようにすればランナーの危険な行動が防げるので大変よいアイデアである。 |
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●印象的なセレモニー |
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まだ夜はあけない。 スタート五分前。アメリカ合衆国の国歌が女性歌手によって力強くそして荘重に歌われる。素晴らしい美声がスピーカーを通して会場全体を覆う。静寂な時間のあとランナーたちも小声で口ずさみ唱和する。 アメリカではプロ野球の試合前にも国旗を掲揚し、国歌を斉唱するのを見たことがある。 大会本部で聞いたのでは最後のランナーのゼッケンは九九九九だという。一万人近くのランナーが今やスタートを待つ。 日本ならば、このあたりで足踏みがはじまって「ワッショイ、ワッショイ」の声がでるのであるが、それもない。ランナーのほとんどはまだ黙然と、悠々と立っている。「十秒前」のアナウンス、「五、四」あたりのざわめきが強くなる。「ワン」で、ワーッというかん声があがると腹にこたえる銃砲の音がスタートライン中央の櫓の上で光る。あまり大きい音なので大砲の音だといった人までいる。それと間髪を入れずに頭上に花火があがる。日本の夏空にあがるあの華麗な花火である。ひとつ、ふたつ……踏み出した足がしばし止まる。十発いや二十発はあったろう。 花火に見とれていたが、再ぴ暗くなったハイウェーを多くの仲間と共にようやく足を前に踏み出した。櫓の上で女性市長が手を振る。 三十五ケ国から集ったといわれる遠来のランナーやホノルル市民の健康づくりを願うてのものなのだろう。手をあげてこたえるランナーも多い。 簡素にして豪華なスタートである。 |
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|写真のページ|2ページに続く |
【編集長メモ】 | 掲載:2004/06 記事更新:2006/10 |
この完走記録は、『走快』紙面で9ページにおよぶ大作です。初めてのホノルルマラソンを走る興奮が伝わってきます。1981年の大会。今から25年前のことです。2003年、編集長も初めてのフルマラソンをこのホノルルで体感しました。今昔の違いはありますが、思わず引き込まれてしまうほど、詳細なレポートです。お楽しみください。 | |
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