走快:ホノルルマラソン2003
2003年12月14日。31回大会の完走記録

編集長レポート
〜走る楽しさを満喫。初めてのフルマラソン〜
第31回ホノルルマラソン / 2003年12月

2003/12/12 夕方、カピオラニ公園へ。
 2003年12月12日の朝、ホノルル空港着。JTBの説明会・マラソンコースの下見などの日程を消化。3時過ぎに、やっとホテルにチェックイン。一休みしてから、フィニッシュ会場となるカピオラニ公園へ散歩を兼ねて下見に行く。会場は準備の真最中。公園を一回りしたところで、フィニッシュゲートのマラソン看板の前で記念撮影をしよう。私と同年輩(?)の男性が一人。日本人かと思って話しかけたが通じない。片言英語の出番だ。写真を撮ってあげた。お返しに私も撮ってもらった。彼は、昨年は5時間で走って、今回2回目だそうだ。私は4時間半が目標。それに楽しみ時間を30分加えて5時間で走りたいといった。
 ちなみに、この看板の前で記念撮影をするなら前日までだ。大会当日は、フィニッシュしてコースから出ると、このゲート位置には入らせてくれない。また夕方に行くとすでにゲートは無くなっていた。
2003/12/13 朝、コースの難所(?)ダイアモンドヘッドの坂を試走。
早朝練習 ダイアモンドヘッドで小休止
 コースの中で坂になるところは、ダイアモンドヘッドの海沿い道路の往復。そしてダイアモンドヘッドを下って、9マイル地点までの登り坂だ。これらの坂を経験しておこう。天野先生の指示は『歩け』だ。試走なので6分/kmペースで走ってみた。試走の最後は、カピオラニ公園へ戻ってフィニッシュゲートまでの直線コース。ラストスパートをイメージして走る。気温も暑くなく風も気持ちが良い。
 この試走で、1時間20分。約10kmを走ってしまった。初のフルマラソンで、前日に10kmの練習はちょっと多すぎたと感じた。普段の20〜30kmの大会前は、1〜2日空けて、前日は30分の早歩き程度にしている。足のトラブルで完走できなければ、意味が無い。本番では脚の負担がかからない走りに徹しようと作戦を決めた。
2003/12/14 スタートのアラモアナ公園へ。
 前夜は10時前にベッドに入ったがなかなか眠れない。身体を休ませておけば良いと割り切っていたので、眠らなければという焦りはなかった。12時頃には眠れたようだ。
午前2時起床。用意していた牛乳とジュースを飲み、バナナを1本食べる。ホテルロビーに集合。バスでアラモアナ公園へ。
 公園の東端に近いベンチで皆で朝食。スタミナ弁当とか。バナナとおにぎり3個。3つ目がきつかったが、食べておいた方が良いとのアドバイス。走る前に満腹状態だ。トイレを済ませ、ウォーミングアップ。スタート前の気合を入れているチームもいる。
4時45分。スタートの列に並ぶ。
 公園から走路の道路へは橋を渡る。すでにスタートの行列は長く続いている。公園の東端からスタートラインのある西側へ進む。何本か橋があり、次の橋を渡ろうとして行ってみると、先頭集団のところだった。ここでは目標時間帯順に並ぶことになっている。
この人たちが2時間台かと思えない人も多い。そんなにギュギュウ詰めでもない。若い女性2人連れから写真撮影を頼まれた。それくらいのスペースが十分にある。私も1枚撮ってもらった。マラソン撮影会の始まりだ。
5時。スタート。
 スタート前のアナウンス。2万5千人がエントリーしているという。その中に身を置いている。それだけで楽しくなる。
 スタートの合図の花火が上がる。シャッターを切る。この後に続いた花火の方がキレイだったが、列は動き始めた。思ったよりユッタリとしたスタート。1分30秒でスタートラインを通過した。こんなに早く通過できるなんて予想もしていなかった。
暗い街を黙々と走る。
 街の中、路面は思っていたより明るく感じた。道路の中央を走る。足元もしっかり見える。景色は観れないので走る人たちを観察する。小さなドリンクボトルを沢山腰に巻いた女性としばし並走する。これを順番に飲んでいくのだろう。私は、300mlのドリンクパックとバナナ1本、クッキー10枚、飴2個をウェストポーチに入れている。このポーチが暴れない速さで走る。6分〜6分30秒/km程度か?
 ホテルのクリスマスのイルミネーションが綺麗だ。周りの走者が多いこともあって、近くまで来ないと気づかない。写真を撮りたいところもあったが、すぐ通り越してしまうので、諦めた。最初の給水所を過ぎたあたりで、交通整理のおまわりさんと一緒に撮ってもらった。
 女性ランナーが給水所で『SPORTS DRINK! SPORTS DRINK!』と叫んでいる。最初の2箇所はWATERだけなのだ。これは、前もって調べていた。2番目の給水所でもこの声を聞いたので、同じようなペースで走っていたことになる。
 アラモアナ公園に戻ってくる。道路の右側に金沢中央走ろう会の天野代表とJTBの○○さんを見つけ、声をかける。○○さんにカメラを渡して、走っているところ撮ってもらう。天野代表のカメラはストロボが光らなかった。
暗い道を走る 交通整理のお巡りさん
快走 給水中
 エイド・ステーションではコップに満杯の状態で渡してくれる。3分の1も飲めない量だ。周辺は水浸しでコップが散乱している。その状況がすごいので、1枚撮影。フラッシュが弱いので、狙いのものにならないかもしれない。
6〜9マイル地点。ホテル街を抜けカピオラニ公園に入ると照明が少なく暗くなる。いよいよダイアモンドヘッドへの上り坂だ。ここは片側車線の走路で暗くて狭く団子状態。周りも黙々と走っている。この坂は昨日走っているので気は楽だ。
午前7時。日の出。
 11マイル手前、高速道路に入ったところで太陽が顔を出す。高速道路の走路の手前、取り付き道路から土手に上り、東に向かうランナーの列と日の出を撮影。係員(?)がいたので、これを背景に1枚撮ってもらった。
 スタートからちょうど2時間だ。11マイルは17.7km。9km/時を予定していたので、上り坂もあったことだしマズマズのペースだ。
日の出を迎えます 朝日をあびて走る
きれいな青空と白い雲。高速道路を走る。
 太陽が昇ると空の青さが素晴らしい。遠くの山波と近くの緑。高速道路は4マイルも続く。単調な高速道路だと思っていたが雰囲気は良い。道路の路肩に上がって椰子の葉を入れてパチリ。途中でバナナ半分とクッキーを2枚食べて、エネルギー補給。
 14〜15マイル付近。椰子の並木の向こうに海が見える。走っていてとても気持ちの良いところだ。海岸側の車線には折り返しを過ぎて復路のランナーが増えてくる。
 向かい風が結構強い。椰子の木の葉の動きで風の強さをみることができる。東に向かって走るので逆光になる。帽子を逆に被りなおし、サングラスを着用する。
強い向かい風を走る ハワイカイ
ハイウェイ復路 往路のランナーが多い
 高速道路からハワイカイへ。17マイル付近でお手製のクッキー・サービスを受ける。ナッツたっぷりで分厚い。3回に分けて食べた。これで、持参したクッキーは出番がなくなった。残りのバナナ半分もこの辺で胃袋へ。後半の走りに備えたエネルギー補給は万全か? 
 17〜18マイル。景色をみているだけで楽しくなる。ハワイカイを折り返して、また4マイルの高速道路を戻るのだ。広い高速道路を開放した走路。対面走行が楽しい。往路のランナーが続くので、こちらが励まされる。バンド演奏の応援は、舞台も作られている。走るのがもったいない。
8時半、30kmを通過。
 
3時間半。ちょうど7分/kmのペースだ。ちょっとスローペース、少し楽しみすぎたか? それでも30km地点で係員に頼んで記念撮影。
 30kmの壁(?)か?。この辺りから、脚を伸ばしてケイレン対策をしたり、路肩に座っているランナーを見かけるようになった。息をキツそうにして走っている人もいる。私は、ゆっくりペースの効果か、呼吸も普通と変らない。脚も重さを感じない。ここからが、フルマラソンの山場だ。本気を出して走ろうと..自分に言い聞かせる。30km(18.6マイル)以降は、ランニングモードに入り、写真撮影を自粛しよう。
 20〜21マイル(往路12マイルを過ぎたあたり)で当パーティーの最高齢、福島さんの走っているのが見えた。ご婦人2人と一緒に走っている。『福島さん、ガンバッテ!』と声をかける。気付いてくれた。 35kmを4:03:31で通過。30kmからの5kmを33分。6:36/kmのペースにアップしている。あと7.2km。これを7分ペースで走ると4時間54分。5時間は割れそうだが、ペースを落とすと5時間を越えてしまう。楽しみマラソンも5時間以内が目標だ。気合が入る。
高速道路を降りて左に曲がる。沿道の声援がものすごい。
 ここからダイアモンドヘッドまでの道は、住宅街で緑も多い。応援があるので楽しい。家族で給水やクッキーのサービスをしている。折角だから、男の子から水のサービスを受ける。22マイルを過ぎたあたりで主催者の写真班がランナー達を撮影している。私のところでもシャッターを切ったようだ。
 23マイル(37km)を4:17:12で通過。少しづつ気温が上がってきているようだ。走りながらスポンジで脚を冷やしていると、『Are you OK?』とお嬢さんが声をかけてくる。ここまで、息を荒くした走りをしていない。脚の疲れも、キツサを感じるまで行っていない。OKと応える。呼吸をきつそうに走っているお嬢さんの横を通過。『もう少しだよ』と声をかける。
撮影コーナー 快走
ダイアモンドヘッドへの上り坂。
 24マイルを過ぎると、いよいよ最後の上り坂に入る。写真を撮る時間は無いはずなのに、風景の壮観さにカメラを手にしてしまう。ダイアモンドヘッドクレーターの壁を背景に1枚写してもらう。『走っている所を撮りましょうか?』そんなことをしていたのでは、時間がかかってしまう。この人、カメラを構えてシャッターを押す直前にカメラを傾けてしまった。『ナンデ?』と思ったが...お礼をいってランニング再開。ダイアモンドヘッドの坂を登ると海がとてもキレイだ。ここでも海を背景に最後の写真を撮ってもらう。
ダイアモンドヘッドへ上り坂 余裕(?)の記念撮影
フィニッシュへラストスパート。
 残り1kmの表示で4:44:53。35kmからの6.2kmを41分。6分36秒/kmのペースを維持している。40分台でフィニッシュするには5分/km。これはキツイなと思いながらもペースをアップする。カピオラニ公園への角を曲がって、フィニッシュゲートまでは直線コース。沿道の応援の人たちの壁が壮観だ。真剣な眼差しで家族や仲間のフィニッシュを待っている。
 この700mの直線コースはフィニッシュゲートが見れるので自然にスピードアップしてしまう。周りは結構キツそうに走っている。追い越す快感に申し訳なく感じる。アレッ。ゲート直前の50mで脚が重たくなってきた。若者3人に抜かれた。
 04:50:37でフィニッシュ。最後の1kmは5分44秒だ。ゲートを通過すると、貝殻の首飾りをかけてくれる。完走した喜びが溢れてくる。ゲート前で完走の記念撮影。

ダイアモンド
ヘッドの坂

ゲート目前
ラストスパート

フィニッシュ
フィニッシュの記念撮影 サービスステーション
フィニッシュ後、JTBのサービスステーションへ。
 フィニッシュすると、サービステントで飲み水やクッキーを渡してくれる。その中にフィニーッシャーズ・アップルとか、小さなリンゴも貰った。サービスステーションの入り口ではぬいぐるみ人形が迎えてくれる。早速マッサージテントに行く。5〜6分並んで受けれたが、頼りないマッサージ。でも横になって身体をリラックスさせることができた。サービステントで飲み物・うどん・アンパン、そして預けた荷物を受け取る。
 応援と先着組は公園の木陰に陣取っていた。ここでエネルギー補給しよう。走行中に食べたり、水分補給は十分にしている。フィニッシュ後にもクッキーやジュース。そんなに空腹感はない。うどんとアイスクリームを食べた。
記録と完走Tシャツ
 腹ごしらえを済ませて、公園内を見回る。まず、 完走Tシャツと完走メダルを受け取る。早速、着用してフィニッシュ地点を背景に記念撮影だ。コースでは、フィニッシュする人たちが延々と続いている。
 成績の速報板が設けられている。低い掲示板にフィニッシュタイム順に印刷された表が貼られている。沢山の人ではないが、表は小さく文字も小さい。なかなかパネルの前に出れない。やっと表の前に。計測した時間の前後を探す。あった。
2003/12/15 朝、ダイアモンドヘッドに登る。
 頂上からは西側にカピオラニ公園とホテル群が、東側には、折り返しのハワイカイまで一望できる。走ったコースを俯瞰して辿るれるというのは嬉しいことだ。ホノルルマラソンは、走るための支援だけでなく、こういった楽しさも演出できるロケーションを持つ大会だと感じた。虹も出て、昨日の完走を祝ってくれた。
 フィニッシュ後もこのダイアモンドヘッド登山も脚が痛くなったり重いと感じることはなかった。ゆっくりペースを守ったマラソン。春からの準備練習も効果を発揮したが、タイムを欲張らなかったことが走る楽しさを教えてくれた。
チャレンジ・ツアーに参加
 2000年1月、中央走ろう会・天野代表のマラソン教室に参加したのがキッカケで当会の活動を知りました。5月のマラソンに挑戦する会の20kmがマラソンの初めになります。以降、年に2〜3回、ハーフマラソン大会に参加してきました。
 昨年の暮れ、ひょんなことから兄と初マラソンをホノルルで走ろうということになりました。兄が参加できなくなったことから、天野代表の企画されるマラソンツアーに参加させていただくことになった。天野代表は、ホノルルでは楽しむこと、記録は国内の大会で出せば良い..とおっしゃる。初めての海外マラソンも代表やJTBのお陰で楽しく日程を消化することができました。
 参加したグループの方は、皆さんマイペース派のランナーらしく個性の強い方ばかり。食事や真珠湾見学、ダイアモンドヘッド登山、ショッピング、そして合同練習など..楽しくご一緒させていただいた。 私は天野代表、最高齢83歳の福島さんとの3人同部屋でハワイのホテル住まいをさせていただいた。すぐに寝付けない私、イビキに悩まされましたが、体力には影響しなかったのも練習の成果だったのでしょうか。
 最後に、皆様に謝意を表して感想(完走)記録とします。
金沢駅を出発 早朝練習
真珠湾見学 12/15 ホテルを出発
写真マラソン
 初マラソンは、写真マラソンでもありました。初めての海外マラソン。好奇心も旺盛で、撮影ポイントの多さにフィルムの枚数も忘れそう。ランニング中に20数枚撮影しました。
 Please take my picture.背景の設定は片言英単語とジェスチャー。
 OK! パチリ。Thank you.. 快く撮影に協力していただいた方々に感謝しています。
 高速道路の日の出や30km地点、ダイアモンドヘッドの坂と海。狙いとおりのアングルです。彼らの腕前も大したものです。撮影依頼の要領は、広角レンズを使用し、撮影範囲と自分の写る大きさと位置を指定してカメラを渡すこと。撮影位置と自分の立つ位置の往復が必要です。編集では垂直水平、トリミングなどで画像を仕上げます。
 私の右手に握っているのはビニール袋。汗や水補給時でのカメラ保護に不可欠です。撮影の都度、ウェストポーチから取り出し、さらにビニール袋からも取り出して仕舞います。面倒ですが、レンズが曇ったら折角の苦労も水の泡です。こうした撮影作業がランニング中に入ることで、小休憩も取れ、より楽しいマラソンになりました。
【編集部メモ】
機関誌に掲載された感想文には、紙面の関係から写真を省略しています。WEBサイト転載にあたり写真を掲載しました。
 機関誌『走快』23号掲載

写真マラソンはレンズ付きフィルムから始まった。 追記=2009/12
レンズ付きフィルム 初めてのマラソンで撮影もしたい。一番軽いカメラは、レンズ付きフィルムだ。次に軽いのがプラスチック製のカメラ。カメラ店の景品でもらった。雨天の時に使えると思ったが出番はなかった。
 ヨーロッパ旅行した時、一眼レフカメラのほかに、レンズ付きフィルムをポケットにいれていた。見知らぬ人に撮影を依頼しても持ち逃げされる不安がない。
 今回も海外のマラソン大会。コース上の自分を撮ってもらうのが目的だ。マラソンコースではボランティアやランナーに依頼するので心配はなさそうだが、42kmの距離を考え、軽く小さいものとして、レンズ付きフィルムを選ぶことにした。
 写真があればこそ、こうした記録をビジュアルに制作できる。それが会報に掲載される。続いてWEBサイトを開設し、編集作業を始める。写真が大切な表現手段となった。
 翌年は、ホノルルマラソンを記録しようとコンパクトデジカメを持って走った。300gの重量だ。その後、一眼レフカメラを持って走るようになるとは考えてもいなかった。撮影の目的ができると、こんなにもエスカレートしてしまう。

【編集長のホノルルマラソン挑戦記録】
練習記録:ホノルルマラソン出場への道のり
ホノルルマラソン2004:写真マラソンの第2集です。お楽しみください。
レンズ付きフィルム
 初マラソンで楽しさを経験したことが、ランニング生活を軌道にのせてくれました。
 完走後に、金沢中央走ろう会に入会しました。同好の仲間を得たこと、WEBサイト編集長としてランニング記事を書き始めたことで、参加大会で走る仲間たちとの輪を広げていきます。カメラを持って走ることが、私のライフワークの1つに加わりました。
 初マラソンの写真は、参加している自分を撮ったものですが、こんなに笑顔で走っていたのかと思うくらい不思議な感覚です。大会や行事での撮影では『笑顔で走ろう』をテーマにしています。そして撮影する側は、それに負けないくらい楽しく走らなければという思いもあります。60〜70歳へと高齢になっていますが、姿勢を正したフォームの維持と軽い脚運びは編集長のエチケットとして、ランニングスキルの動機付けになっています。

【2011年版=編集メモ=2011/09】
 ホノルルマラソン2003は私の初マラソンの記録です。2004年のWEBサイト開設の記事として掲載。当時はWEB環境の伝送速度も遅く、小容量の記事で制作していました。光回線など環境が整い、写真サイズを大きくできるようになりました。2011年からスライドショー版で制作するようになります。ホノルルマラソン2003写真集は2011/09に更新しました。
【2020年版=編集メモ=2020/12】
 編集長のマラソン写真集の原点は、ホノルルマラソン2003&2004です。この初マラソン以降、マラソン大会で写真を撮り続けています。金沢マラソン2015の写真集からは、300〜400枚の写真を掲載するようになりました。一方で原点であるホノルルマラソン2004の写真集は、制作当時の小さな画像のままで、貴重な写真が泣いていました。2020年はコロナ禍で秋のマラソン大会が中止となり、編集時間にゆとりができました。2004年大会の写真を整理し、スライドショー版への更新作業に入りました。2003年大会の写真も同サイズに合わせ再編集しました。
※写真原稿は閲覧用にサイズを大きく編集し直しますが、文章は基本的に変えません。大会当時の気持ちを大切にしています。
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