走快:東京マラソン写真集(7) 編集長のマラソン写真集

東京マラソン2007
編集長レポート
写真集大会資料
2007.02.18
速報掲載:2007/02/21_記事更新:2010/05
フィニッシュ・ゲートで完走を喜こぶランナーたち
目次 1:スタート 2:日比谷〜品川 3:銀座〜浅草 4:銀座〜有明 5:フィニッシュ 6:大会資料 編集長レポート

コース地図を参照しながら写真集をお楽しみください。→

雨模様が続く東京の都心。国内初の都市型マンモス大会を楽しく走りました。
東京都庁前をスタートするランナーの列。
東京都庁前をスタートするランナーの列。スタート前に雨が強くなりました。
 夏に申し込み、1次抽選で落選。高齢に寒冷期のランニングは止めたほうが良いとの啓示と理解し、気持を切り替えていたが、11月の2次抽選で走れることになった。
 11月に念願のサブフォーを達成し、12〜2月には寒冷対策を組み込んで距離練習もシッカリこなせたことで、タイム更新の気持も湧いてきた。問題は天気だけだ。
 都心を走れる初めてのマンモス大会。写真取材を楽しみにし、コース調べも念入りに行い、撮影を楽しみにしていた。気持の高ぶりはホノルルマラソンの参加を決めた年に似ている。
 東京マラソンは、報道機関も沢山取材することで、いろんなアングルの写真が見られるだろう。12回目のフルマラソン。今回も、いつものランナーの視点での写真集です。編集長レポートと合わせて、お楽しみください。

編集長は写真取材マラソンを楽しんで、フィニッシュタイムは4時間58分46秒。
東京マラソン2007。予定どおりにフィニッシュ。
撮影マラソン。予定どおり5時間以内の完走です。
 今回の走行計画は30kmまで5分30秒/km、残りを6分弱で走り、サブフォー(4時間以内)目指すものです。
 昨年11月にサブフォーを達成し、その後の練習量も今まで以上の数字で、状況次第では、タイム更新に切り替えることも考えていた。
 並んでいる間の寒さもあったが、沢山のランナーに囲まれて、思うように走れないことが解かった。早々に取材マラソンに切り替えたことで、脚や体に負担の少ない楽しみランニングとなった。タイム更新は参加者の少ない大会で試みよう。撮影は400枚を超えた。これには我ながらビックリ。写真の整理が大変だ。
地点名 通過時刻 スプリット ラップ コース概要 給水等 撮影枚数
Start 09:10:00 0:09:35     (スタート前) 20
 5km 09:53:40 0:43:40 0:34:05 新宿:東京都庁→市ヶ谷→   56
10km 10:29:31 1:19:31 0:35:51 →飯田橋→大手町→日比谷 給水×2/WC 61
15km 11:02:27 1:52:27 0:32:56 →芝公園(東京タワー)→品川 給水×2 35
20Km 11:39:39 2:29:39 0:37:12 →折り返し→田町→日比谷 給水×2/WC 36
25Km 12:16:29 3:06:29 0:36:50 →銀座→日本橋→浜町 給水×2/WC 68
30Km 12:51:52 3:41:52 0:35:23 →浅草雷門(折り返し)→両国 給水×2 30
35km 13:29:54 4:19:54 0:38:02 →茅場町→銀座→歌舞伎座 給水×2/WC 41
40km 14:04:58 4:54:58 0:35:04 →佃大橋→豊洲→ 給水×2 36
Finish 14:19:12 5:09:12 0:14:14 →有明→東京ビッグサイト 給水×1 20
      4:59:37   (完走後) 40
スタートラインの通過に10分。チップ計測とマイ計測。
 私はワシントンホテル横の列に並びました。スタートの合図があっても、しばらく動きません。スタート地点まで9分かかっていました。チップ計測によるフィニッシュタイムは、4:59:37でしたが、私の計測では、4:58:46です。スタートラインを通過してからスタート地点の撮影を1分近くしています。チップはスタートラインで計測を開始。私は撮影後から計測を開始しました。
翌日の新聞によると最後尾の通過に20分かかったようです。
トイレのタイムロスに20分も使っています。
 トイレに4回も行きました。初めての経験です。いつもはスタート前に済ましておけば、フィニッシュまで大丈夫ですが、今回は条件が悪すぎます。冷たい雨のなかで2時間近く静止しているのです。新宿駅も会場もトイレは長蛇の列です。コースに出てからトイレすることにしましたが、4回もとは思ってもいませんでした。ランニング前や給水所でシッカリ摂取したのも一因でしょうか。
 仮設トイレはどこも長い列ができています。最終のトイレは水天宮の公園トイレを使いました。コースから往復250m位ですが、並ばなくても良いので気持ちが落ち着きます。
ランナーの多さと並んだ位置から、タイム更新の目標を写真取材に切り替える。
東京マラソン2007。雨具を着て走りました。 今回の大会は42kmの距離に対する不安はなかった。11月の九頭龍2006でサブフォーを達成し、続けて12〜1月の練習も好天に恵まれてシッカリでき、1月の月間215kmは過去最高の数字だ。8月の大会申し込み時は写真取材が目的だったが、大会前にはベストタイム更新も狙えるかなと意識するようになっていた。天候が文字とおり水をさすことになる。最初の4kmでのラップが27分だった。7分弱/kmのペースでしか走れていない。いつもは撮影しながらも5分半〜6分ペースで走っているのに、ここでは周りのランナーに囲まれてペースが上げれない。4km地点で5分の遅れ、そしてこの位置からは、どうあがいてもベストタイム更新はできない。
 本来雨天では撮影は不利だ。光量も少ないことに加え、カメラやレンズが雨に濡れる。その対策で手数もかかる。ワンポイントの撮影に絞って、ランニングに集中しようと考えていたが、この時点で取材ランで目標を5時間以内においた。10kmを70分→40kmで4時間40分、残り2kmの14分を加えて4時間54分の計算だ。天候には恵まれていないが、撮影を思う存分楽しもう。
 九頭龍2005では160枚撮影し4時間5分でフィニッシュしている。今回は400枚の撮影となった。5km毎のラップ記録を見ると撮影しながらも7分/kmのペースになっている、このペースでは、35km以降での脚への不安も感じなくて済む。
 途中距離表示が見えた区間はラップをチェックしながら走った。39〜40km区間では5分12秒で走っている。これは、ノンビリ走っていると5時間を越えそうになったことから、フィニッシュ近くでの撮影タイムの確保のためにと、撮影を控えランニングに徹した区間だ。他の区間でも6分/km前後のペースの区間がいくつかある。沢山のランナー、ペースの合わない列にいて追い越しにはジグザグ走も多かったが、撮影主体に気持を切り替えたことで、走ること自体には不安もイラツキもなかった。
 ランニング以外の所要タイムを試算してみよう。400枚の撮影には、10秒/枚とすると4000/60=66分。給水では15秒×15=4分。これにトイレの20分を加えると1時間30分になる。私の現在の走力では3時間55分くらいか。実際の撮影時間は40分くらいなのだろう。
 5kmごとの撮影枚数を見ると、銀座〜浅草の間が多くなっている。この大会で一番走りたかったところ。それが撮影枚数にも表れている。
 以下に、東京マラソンの申し込みから完走までの顛末をまとめましたので、お楽しみください。

編集長レポート
東京マラソン2007を写真取材しよう。
 都心を走れる初めてのマンモス大会。大会開催が決まったときから写真取材マラソンを考えていた。当初の情報量の少ない案内資料から、拡大地図を用意し、コース調べも念入りに行い撮影を楽しみにしていた。気持の高ぶりはホノルルマラソンの参加を決めた年に似ている。
 東京マラソンは、報道機関も沢山取材することで、いろんなアングルの写真が見られるだろう。それでも、ランナーの視点での『東京マラソン写真集』を制作してみよう。
2007年は東京マラソンから始まる。この冬のオフはない。寒さに強い体を作ろう。
 2006年11月、九頭龍フルマラソンの大会直前に、来年2月に行われる第1回東京マラソンの2次抽選で参加の知らせが届いた。1次抽選で外れたことで、『厳寒の東京を年寄りが走るのは止めときなさい』との神の声として、スッキリと気持ちを切り替えていたので、少し戸惑いを感じた。若い時期に勉強や仕事で生活した東京。金沢に来てからも東京への出張が多かったが、この1年半は上京していない。久しぶりに仲間と一杯飲ろうとの約束も復活できる。都心を走れるのも今の内かもしれない。申し込むことにした。
 例年、12月のホノルル、11月の九頭龍など、年末の大会参加が終わると、3月までシーズンオフとして練習量を落とす。天候不順に加え降雪もあるので、外で走る機会が激減することが第1の理由。ランニングのおかげでスキーを楽しむ体力が維持できていることが第2の理由。中上級コースの瀬女高原スキー場がお気に入り。出かけると1日(4時間前後)で20km滑る。走力の維持には、金沢中央走ろう会の例会練習と金沢ランニングクラブの練習に仲間入りして体育館を走る。3月からハーフマラソンの大会参加を組み込んで、4月のフルマラソンに備えていく。
 今年は、東京マラソンに備えてフルマラソンの走力維持があるので、練習量は減らせない。寒さ対策に外を走って寒さに慣らすことも重要な練習テーマだ。
 12月の練習が160kmと増えたことで、2006年の累計走行距離が1600km近くになった。1月は雪のない金沢、好天に恵まれて練習量は214kmと過去最高の数字となった。寒さ対策に、3〜5℃で30km以上を数回走った。20km位の距離では冷えもそんなに感じないが、30kmを越すと体はとても冷えてしまう。すぐ風呂に入って体を温める。その後のビールが美味い。例年通うスキー場、今年は雪も少なかったが、捻挫でもしてはと、ランニングに徹した。そして、風邪をひかなかったことが一番嬉しいことだ。
 こうした12〜2月の寒冷対策を組み込んだ距離練習もシッカリこなせたことで、タイム更新の気持も湧いてきた。問題は天気だけだ。

前日は東京ドームで大会受付。
受付け手続きは、東京マラソン・エキスポ会場。
 今回の大会参加は、金沢中央走ろう会・金沢RC・羽咋走ろう会の仲間と一緒に東京入りした。地元の旅行会社が東京マラソン便を企画していた。専用の往復バスにホテルとマラソン後の入浴も組み込んである。私は、入浴後に別行動で東京に残る予定にしている。
 東京に入ったバスは最初に後楽園へ向かい東京ドーム横に停車。ここで受付し、買い物をする。スポーツ用品各社がいろいろ品数を用意している。これば便利だとか、この雨具は良さそうだとか品定めをする。小出監督のトークショーをやっている。
 受付を済ませると、バスでコースの下見だ。新宿から靖国通り・飯田橋〜竹橋〜日比谷〜品川。銀座に戻る頃には夕方のラッシュ。私は地理不案内の佃大橋からビッグサイトまでの間を確認したかったが、その手前で中止となった。品川のホテルに入る時間にも遅れが出てきている。
 夕方から降り始めた雨が気にかかる。夕食は仲間と一緒に。部屋に戻り天気予報を確認。西から来る低気圧が関東南部を通過する。雨雲は大会の時間帯にもかかるようだ。気温も低い。寒さと雨対策が必要だ。会場で預ける荷物とバスに残す荷物をまとめ、ベッドに入る。

大会当日、会場入りと、スタートまでの寒さ対策。
代々木から電車で新宿へ
 スタート会場は、交通規制のほか、入場規制が行われている。参加者も指定されたコースからでないと入れない。バスを代々木駅で降り、JR新宿駅から会場入りする。駅から会場までも混雑しているので、土地不案内のFさんたちは、私の手を離さない。(詳細:略)
トイレは大混雑。手荷物を預ける。
スタート会場のトイレは長い列。 マラソンを走るときに重要なのがトイレ対策(?)だ。スタート直前に済ませたい。3万人規模の大会では、こちらの思うようにはいかない。回数は増えても出来そうなところで小用しておくのが賢明だ。新宿駅のトイレはすでに長い行列ができていた。会場のトイレもご覧のとおりの列だ。とても並ぶ気にならない。
 手荷物はスタート1時間前に預けるので、寒さ対策が必要だ。東京メトロでポンチョを支給してくれている。ほとんどのランナーが着用しているが、どこで配っているのか分からない。しばらく尋ねていると手にすることが出来た。
 荷物を預ける前にバナナを食べる。いつもの手順だ。アメリカから参加しているという青年2人が横で軽食をしていた。
 手荷物トラックが通りの両側に並ぶ。荷物を預けるランナーの列でものすごい混雑だ。
スタートはブロック毎に並ぶ。
冷雨の中、スタートを待つ。
スタートの列に並んでいる間の降水量が多い。 スタートはA〜Kの11ブロックに分けられて並ぶ。荷物預けの締め切り時間があるので、並ぶ時間も指定されてしまう。荷物を預けてから、大きく回りこんで、ワシントンホテル横の指定ブロックにいく。途中雨宿りするところもない。大粒の冷雨のなかでスタートを待つこと50分。体が芯まで冷えてしまう。
 この日の雨は13時頃まで続いた。記録をみると、スタート前の列に並んでいる間の降水量が多いことが分かる。寒さと雨の中で待つ時間がとても長く感じられた。私はゴルフで使用する雨具を着ているが走る時のものだ。待っている間は傘が欲しい。東京メトロで配っているビニール雨具を傘代わりにして使う。ランニングシューズに水の入る対策としてビニル袋を利用して足を濡らさないよう工夫してホテルを出た。こうした寒さ対策の効果があって、気持のゆとりができた。この条件下で足を濡らし、冷雨にたたかれていたら、気持ちも萎えてしまう。周りをみると、寒い寒いといいながらも元気そうな顔が多い。若い人は強いのだ。
セレモニーの様子は大きなモニターで紹介される。
スタートはブロック毎に並ぶ。セレモニーの様子は大きなモニターで。

取材ランニングで400枚の撮影。我ながらビックリの撮影です。
浅草。雷門前で記念撮影。 今回は、事前の練習がしっかりできたことで、天候を理由に、写真取材はワンポイントに絞り、タイム更新を狙うことも考えていました。
 走り始めて、スタートの列が後ろ過ぎたこととランナーの混雑からペースダウンが大きく、、5km地点でのタイムは予定より7分もの遅れです。これではタイム更新は無理と解かり、取材ランに切り替えました。そうと決めれば、大会を楽しむのが編集長。撮りも撮ったり、400枚を越すことに。これは観光名所に加えビル街の表情がそれぞれ違うことで、それらとランナーの列を組み合わせる初めての機会だったことが要因です。
スタートは東京都庁。雨にけむる高層ビル群の谷間を出発します。
東京マラソン2007。スタートは東京都庁です。スタートライン通過は、10分後。
 荷物を預けてから、大粒の冷雨のなかでスタートを待つこと50分。体が芯まで冷えてしまいます。やっと動き出した列にホッとしますが、身動きのままならない列の中です。
 それでも、スタートラインに来ると石原知事に手を振って、行ってきま〜す。
 私は、10分後にスタートラインを通過しましたが、3万人のランナーの最後尾は20分かかったとのことです。
都心の大会は撮影・編集が大変です。
 都心のコースはビル群の谷間を走ります。自然豊かなコースを走るときは、高い山も遠くにあるので低く背景に納まります。高層ビル街は、その高さを画面に取り込もうとすると見通しのきくところに限られます。ランナーは一番低いところを走っていますので、それらを組み合わせると、どうしても縦長の画面が増えてしまいます。
 スタート前から強くなった雨脚も撮影の邪魔をします。東京メトロ提供のビニール雨具をカメラの傘代わりにして撮影します。
 カメラ位置を下げてローアングルの撮影も試みましたが、レンズに雨があたるので諦めました。
 走るコースの特徴は、そこに建つ建物が主役になります。その表情を追っていると結構楽しいものです。かなり撮影しましたが、掲載するのは一部に限られます。
 スタート直後に、頂部が雨に曇る高層ビルとランナーを組み合わて撮影しました。光量が弱いことから、手前のランナーは流れてしまいます。折角頂部まで撮影した写真ですが、WEB掲載では画面構成の都合上、高層ビルの頂部をカットしています。
スタート〜靖国通りを飯田橋へ(〜5km)
マンモス大会での撮影要領は?
 走りながらランナーを撮影する時、その場で立ち止まっては、ランナーの邪魔になりますし、危険です。今回は、中央分離帯と歩道で撮影します。撮影のイメージを決めながら、右や左に少しづつ移動します。曲がり角はランナーの列から離れて撮影できるポイントです。大回りするランナーはいないので、大会役員はビックリします。トイレ以外ではコースからは外れていません。
 取材ランは、42.195kmにジグザグ走の距離が追加されます。
新宿、歌舞伎町にランナーの川ができる。
新宿、歌舞伎町にできたランナーの川。 3万人のランナーの列を実感したのは、歌舞伎町だ。JRガード下から出たランナーが道幅いっぱいに広がっていく。靖国通りがランナーの大河になった。道路分離帯に位置取りしてシャッターを押す。靖国通りから外堀通りへ、市ヶ谷から飯田橋へ、この大きな流れはなかなか隙間ができない。中央分離帯か、路肩に移動して撮影する。
懐かしい地域を巡るが。。
 今回のコース上には若い頃、仕事で常駐したり頻繁に通った地域がある。最初が市ヶ谷駅だ。次に大手町、芝公園、田町駅周辺、浜町。金沢に転勤してから、出張で上京しても、なかなか脚を向けなかった地域だけに楽しみだ。この思いは意外にも大会に参加する時のものだった。実際に走ると、写真取材もあり、昔を懐かしむ気持ちも飛んでいってしまっていた。今を楽しむのがランニングなのだ。
大手町から皇居前を通過し、日比谷公園へ(〜10km)
大手町から皇居前を走る
 この地域は、上京時にも脚を運んでいるので、皇居周辺の緑と丸の内の高層ビル群との組み合わせを狙う予定にしていた。落葉樹が多くて、緑をつけているのは松だけだ。それも雨にかすんでいるので水墨画に近い発色だ。ビル群も雨に霞んでいる。たっぷりある被写体は雨具を羽織ったランナー。色で勝負するのも難しい。
日比谷公園が10kmの部のフィニッシュ会場
日比谷公園は10kmの部のフィニッシュ会場。 日比谷公園の北西、祝田橋交差点から中央分離帯を境にして、フルマラソンは左側、10kmの部は右側と分かれる。10kmの部のフィニッシュ会場への導入路対応だ。多くのランナーが右に分かれていく。この大会の一番の不審な点は、10kmの5000人とフルマラソンの2万5000人を同時にスタートさせている点だ。スタートからここまでの流れの混雑ぶりとペース合わせの難しさを経験して、改めて感じる。ランニングそのものの走行マネジメントが違う種目なのだから。
御茶ノ水・神田・竹橋・大手町・日比谷公園の思い出
 東京で学生生活をするようになってクラシック音楽と中南米音楽を聴くようになった。神田三省堂の裏通りにあるアルゼンチンタンゴ専門の喫茶店にもよく通った。この店のブレンドしたコーヒー豆を分けてもらい、自分でも煎れるようになった。御茶ノ水から神田周辺、九段下から靖国神社、千鳥ケ淵なども通学や散策コースで、上京の折には自然に足の向く地域だ。 
 クラシックはもっぱらレコード鑑賞だったが、中南米音楽はライブも楽しんだ。友人に文京公会堂の演奏会に連れていかれたのがきっかけだ。日比谷公園の南側にある屋外音楽堂。ここはアルゼンチンタンゴの夕べという演奏会に毎夏通ったところだ。
 仕事でも大手町に2年半近く、市ヶ谷で2年近く常駐することになった。市ヶ谷から日比谷公園までの区間は、特に親しみの深い一帯なのだ。
東京タワーを眺めながら品川へ(〜15km)
日比谷公園。招待選手とすれ違う。
有森裕子選手とすれ違う。 10km地点の日比谷公園から品川までは折り返しコースで対面走行になる。『有森選手だ』。歩道の応援の人たちの声か? こちらに向かってくる列に目をやると、それらしき集団がすぐ分かった。有名選手と伴走する形で走ろうとする人たちだ。間近かだったので、カメラを流れに合わせながらシャッターを切る。うまく写ってくれたかな?。コンパクトカメラではめったにしない流し撮り。タイミングがカメラ任せになるのがつらい。横顔を狙ったが後ろ姿になっている。それでも、教えられれば有森裕子選手と判別できる写真となったようだ。
 有森選手は、金沢のハーフマラソン大会にも招待されていたので、その小柄さに驚いたものだ。それでも走る姿は大きくみえるから、面白い。
東京タワー周辺
雨にけむる東京タワー。 日比谷通りを南下する。細かった折り返しのランナーの列がだんだん大きくなってくる。谷間の底を流れるランナーの上に高層ビルが浮かんでくる。周囲のランナーとの間も広くなっているので、エイドステーションやイベント広場の応援なども撮影しやすくなった。エイドステーションの若者たちの元気な笑顔が嬉しい。芝公園の一番北側で踊っている若者たち。透明のビニールカッパを羽織っての熱演だ。
 ビルの向こうに東京タワーが見える。展望台から上の半分くらい先は雨にけむって見えない。センターラインに寄ってもランナーを撮り込んでの撮影は難しい。とりあえず往路での証拠写真を確保しておき、復路で撮影しよう。 つづいて増上寺の山門前を通過する。
田町駅前を通り、品川で折り返す。
品川駅前で折り返す。 三田で国道15号線に入る。もうすぐ田町駅前だ。中央分離帯から、左右で対面するランナーの列を程よいバランスで撮影できる。往路、復路のランナーを主体にしたカットをそれぞれ撮影する。
 遠くに品川の折り返し地点が見えてきた。折り返し地点周辺も撮影スポットだ。折り返しの手前から左右に移動しながら撮影する。折り返し点を通過。道路幅いっぱいのUターンが続く。この折り返し点を中央からみる位置で撮影しよう。そのためには道路幅分の画角が必要。コースの仕切りフェンスまでいく。さすがここまで遠回りするランナーはいない。撮影しているとこちらに手を振るランナーもいる。
 折り返しは、ちょうど交差点だ。黄色い大型バスが道路を通せんぼしている。交通規制の電光文字表示もシッカリ撮影しておく。
芝公園・田町駅周辺の思い出
田町駅前を走る。 この地域は仕事での思い出が中心だ。
 入社2〜3年目の常駐。その2年後にも頻繁に通った。年末から正月にかけての連休でしかできない仕事では、周辺の店舗も閉まっており、品川駅まで弁当を買いに行ったこともある。
 仕事の合間や夜間を利用して田町駅近くの自動車学校にも通った。初めての路上運転は田町駅周辺だ。(詳細略)
 金沢に転勤になってからも、縁が続く。あるプロジェクトの会議で、泉岳寺から東京タワーへの道を歩くことが月1回のペースであった。
品川を折り返し日比谷へ戻ります(〜20km)
芝公園でトイレ休憩
 2度目の尿意。寒さと水分の摂り過ぎ(?)か。タイミングよく芝公園のトイレがある。列も短かめだ。東京タワーの撮影前に、ひと休憩だ。
東京タワーの撮影は折り返しコースで。
東京タワーを背景に記念撮影。 東京タワーは大切な撮影ポイント。往路からは手前の建物や街路樹が邪魔をして見通しの良いところに限られるし、ランナーを組み込みにくい。復路では歩道から撮れることで、高いタワーも小さく(低く)撮りこむことができる。
 東京タワーは雨に煙っている。先端が見えない。こうした、写真を編集していると、青空だったらと思うことしきりである。タワーの赤白も雨雲に溶け込むボケよう。ランナーも白が主体の雨具を着用。その下にはカラフルなランニングウェアがあるというのに。
 応援の人にタワーを背景に記念写真を撮ってもらう。写真集では、説明不要の名所を背景にしたものが分かりやすい。今日はオノボリさんなのだから。
制限時間を過ぎた往路はきれいに片付けられている。
制限時間を過ぎた往路はきれいに片付けられている。 日比谷から品川の間は折り返しなので、関門の制限時間を過ぎたり、最後尾のランナーの通過した後の道路状況を見ることができる。19km付近を走っていると往路を警察車両が3台向かってくる。気がつくと前後にはランナーがいない。そして路面はきれいになっている。もう片付けと確認がされているのだ。この道路は駅伝などで交通規制と解除は毎年おこなっているにしても、2万5千人規模のマラソン大会でも迅速な対応がなされていると実感できる。その準備の苦労に感謝したい。浅草から銀座までの折り返しでも、同じような警察車両のすれ違いを見かけた。
有楽町から銀座〜日本橋〜浜町へ、ここを走りたかったのです。(〜25km)
日比谷交差点を右折して有楽町に向かう。
日比谷交差点を右折して有楽町に向かう。 日比谷公会堂が見えてきた。20.1km地点の給水所を通過。日比谷交差点を右に有楽町に向かう。ここでも右折するランナーの列を撮影するため交差点の中央まで大回りすると、係員が驚いたようにみていた。
 制限時間を過ぎた交差点の往路はきれいに片付けられている。現在11時46分。9時10分スタートだから2時間36分経過。 この交差点の手前の往路第2関門(10.5km)の制限時間は1時間57分。折り返し点の第3関門(15.5km)は2時間44分。確認作業が済めば区間ごとに交通規制を解除するのだろうか。復路の第4関門(20.4km)は3時間29分。いずれにしろ、もう1時間もすれば山手線の内側の交通規制は解除されるのだろう。こうした交通規制の始めや解除などの大会運営面でのカットも取材したい材料だが、ランナーの立場での撮影は難しい。
 JR有楽町駅のガードの手前が中間点だ。ちょうど新幹線が通過しているところを撮影した。
待望の銀座を走る。
銀座4丁目。服部時計店の前を走る。 JR線のガードをくぐる。東京マラソンで、一番走りたかったコースに入る。ここまでは、歩道を走ればコースを巡ることもできる。ここから浅草までは、車道を走れることに意味があるのだ。銀座の一部は歩行者天国で開放されるが、今日は思いっきりのランナー天国だ。ここから銀座4丁目まで、ランナーの走らない反対車線のスッキリ感は、いつもの渋滞を知っている人には想像もつかない光景だ。不二家の前を通過。この店の窓越しに交差点の雑踏を眺めるのを楽しんだこともある。ランナーを入れた風景をイメージしてみる。
 銀座4丁目は、なんといっても服部時計店(和光)ビルだ。ここを通過するランナーを撮影する。重厚な石造りの外装とカラフルなランナーの予定だったが、傘の応援を背景に雨具のランナーとなった。往路からは建物の上部まで撮り込むのは難しい。復路との間にはフェンスが設けられいる。ぎりぎりのところまでいって撮影する。
 左折すると、いよいよ楽しみにしていた銀座通りの撮影だ。ここからは浅草から折り返したランナーとの対面走行になる。復路の列は、まだマバラだ。4丁目交差点の山野楽器・三越など、馴染みの建物を前景に進行方向の街並み、振り返って交差点の向こう側を撮る。ランナーを組み合わせて街並みを撮るには、少し高い位置が欲しい。建物が近いのでなかなか思うような構図にならない。ブランド店やデパートなどを背景に数枚撮影する。
 銀座1丁目の交差点を撮ってしばし撮影中断。日本橋に入り高島屋から撮影再開。
日本橋〜浜町を走る。
日本橋から茅場町方向に進む。後方は大手町。 日本橋交差点で右折。永代通りを茅場町方向に進む。ここは後方の大手町に思い入れが多い地域だ。振り返りながら撮影する。まっすぐ進み、茅場町交差点を左折する。角の澁澤シティプレイスの窓の反射が面白い。ここには2年前に来ている。
 ここで3度目の尿意だ。公園のトイレを使う。少し走れば、もう水天宮だ。浜町の明治座を通過すると25km地点。
有楽町・銀座界隈の思い出
数寄屋橋を走る。 会社(本社)への通勤は、地下鉄銀座駅で乗り換えしていた。いつもは地下道だが、たまに地上の空気も吸う。ショッピングには縁がなかったが、身近かな街だ。
 会社の写真クラブに所属していた。全日本写真連盟に会員登録して、作品展に応募する。私の初出品がその年のカラーフェアに入選した。数寄屋橋のフジフォトサロンに1週間展示される。社内展以外の公募写真展に行くのは初めてだ。沢山の作品の中から自分のを探す。誇らしいのか恥ずかしいのか複雑な気持ちだったことを覚えている。初出品は入選しやすいといって冷やかされた。2回目以降は、審査の眼も厳しくなるのだという。この作品で理解したことは、シャッターチャンスの大切さだ。面白いと感じるもの(心に響くもの)を見つけ、それをテーマに構図を決めながら、決定的瞬間を切り取る。作品として仕上げるときも、カラーの発色具合をイメージに合わせて細かく注文を出す。評価されることで、こうした経験の意味づけが大きくなる。写真に限らず、大切なプロセスだ。
 この文章を書いていると、ふと思い出した。中学3年の修学旅行。自由時間に在京の兄がつれて行ってくれたのが銀座だ。4丁目交差点周辺のネオンにとても眩しいものを感じた記憶がある。数寄屋橋交差点の不二家でケーキをご馳走になった。
浜町・人形町界隈の思い出
明治座前を走る。 浜町公園の近くにある明治座のスタジオ。学生時代のアルバイトでテレビ・ドラマのスタッフを経験した。私の仕事は俳優に方言のイントネーションを教えるもの。撮影は東京周辺で青梅や熱海まで広範囲に移動したが、アフレコはこのスタジオで行う。映像フィルム編集が終わると、ここに通い俳優の声入れに立ち会う。学生の気軽さからか、撮影が遅くなったりすると、撮影スタッフの宿舎に泊めてもらったりした。今思うと、この時に撮影現場の実際を経験したことは、今の写真やビデオの撮影技術にも大きな影響を与えているような気がしている。
 人形町界隈は、会社での仕事だ。(略)
エイドステーション(1)。給水はたっぷり摂れたました。
 エイドステーションは5km地点から2.5kmごとに15ケ所設けられている。この配置は素晴らしい。いつでも給水できる安心感は何物にも代えられない。シッカリ水分を補給すると痙攣防止になるのは経験済みだ。エイドのボランティアの皆さんが大きな声で応援してくださる。ランナーと違って動きが少ない分寒かったと思うが、カメラを向けると笑顔が返ってくる。
ずっと続いた応援の壁
 沿道の応援がありがたい。スタートから築地まではシッカリ応援(見物)の壁が続いていたようだ。さすが東京都心の大会だ。佃大橋から先では橋部で歩道が車道と離れた個所は物理的に無理だが、見守ってくれる人たちが、疎らになるということは無かったように思う。
浅草雷門で折り返し、両国へ戻る。(〜30km)
浅草に向かう。
 東日本橋を通り、浅草橋駅前から蔵前へ。対面走行のランナーを取り入れながら撮影を続ける。駒形橋西詰の五叉路の交差点が見えてきた。ここを並木通りに進めば浅草雷門前にでる。ここの応援や商店街も撮影材料だ。吾妻橋交差点をまわって駒形橋西詰へと三角形に折り返す。ここから銀座4丁目まで同じコースを戻る。
浅草雷門の前で記念撮影。
 ここは在京時代に訪れたことがある。上京した折には、人形焼きや雷おこしなど浅草のお土産を定番のように購入していた。この地域は30数年ぶりか。雷門の正面の写真だけはシッカリ撮影しようと考えていた。
 あいにくの冷雨でも、傘の列の応援がうれしい。この近くの給水所で人形焼きが用意されていると楽しみにしていたが、お目にかかることもできなかった。
水天宮公園でトイレ休憩
 冷雨の大会、エイドの食料は無く、給水ばかりはシッカリとっているせいか、4度目の尿意だ。水天宮の交番で尋ねると公園のトイレを教えてくれた。なんと、広い水天宮公園の一番端っこだ。後日地図で計測すると250mほどあった。さすがここまではランナーは来ていない。列ができていないのが良かった。コースに戻るまで5分以上も費やしてしまった。
対面走行で、金沢ランニングクラブのFさんを発見。
 取材ランでは、周辺の景色だけでなく、遠景にも気を配っている。ランナーや応援の衣装や表情にも視線を巡らす。その上で被写体とシャッターチャンスのタイミングを図る。こうした走り方をしていると、オッ、○○さんだ。というのが良くある。すれ違いや追い抜き時に声を掛ける。応援の列の中の知人にも声を掛けて手を振ることも多い。今回は、金沢ランニングクラブのFさんが浅草への往路側を走っているのを発見。声を掛けると気づいてくれた。銀座の歌舞伎座を過ぎたあたりで、金沢中央走ろう会のMさんを追い越した。それぞれ記念にシャッターを切ってあげる。
浅草橋駅前を通過すると両国の30km地点。
 浅草橋駅前を通過すると30km地点。両国橋の西側だ。ここまで3時間30分かかっている。撮影はともかく、混雑と4度のトイレ休憩でペースが落ちている。この第6関門の制限時間は4時間58分。救護所の看板も見える。本来はマラソン30kmの壁が始まる距離だが、そんな気配はない。5時間以内にはフィニッシュできるだろう。銀座までは撮影を少なくして、景色を楽しもう。
エイドステーション(2)。期待した食材は口にできなかった。
楽しみにしていた給食がない。本当に用意したの(怒り)。 バナナはどこだ。
 私がマラソン中に摂るのはバナナと柑橘類だ。エイドごとに、少しづつ口に入れるようにしている。
 今回のコース上の給水ポイントは15箇所。2.5km間隔という、十分な体制だった。
 ハーフを過ぎたら給食が用意されていることになっているが、バナナのひとかけらも見ることができなかった。給水ポイントを通る度に、本当に用意したのかと信じられない思いだ。TVニュースを見た知人の話や翌日の新聞を見て、準備した量の少なさに唖然としたのは私だけだろうか。
 私は全ランナーの中間位でフィニッシュしているので、過半数のランナーが給食を受けることができなかったことになる。
 ボランティアの皆さんも、大会の盛り上がった途端に提供する食材が底をついたのではお手上げだ。ランナーと同様な気持を持たれたに違いない。
 ホノルルマラソンは、給食無しと案内されている(暑さもあるが)ので、バナナやクッキーをウェストポーチに用意して走る。地方の大会では、給食に工夫をしてランナーを楽しませてくれる。
 用意すると案内してあれば当てにもする。幸いコース沿道にコンビニが点在する。沢山のランナーが飛び込んでいるのを目にした。
 生憎の冷雨となったが、都心を走れる楽しさを満喫した大会で、関係者の努力には感謝している。ただ、給食に関する限りお粗末としか言いようがない。
 次年度は、どのように改善されるか? 給食は、準備〜提供、ゴミ処理など作業が複雑でスタッフの習熟も必要。食材を準備しただけでは解決できない問題を多く含む。それでも、ランナーは期待している。
 一方、ランナー側も自衛が必要だ。私は黒糖飴2個とアミノサプリメント粉末2袋をいつも携帯。万が一の場合の交通費と給食費も最低限ポケットに入れている。地方の大会では、使うこともなかったが、今回は、これが役立った。
貴重な飴玉2個
 マラソンは持久力の競技で、疲労対策も必要だ。疲れの感覚は脳への糖分供給が少なくなってきたことの警告でもあるという。適当な時期に糖分を摂取して脳の疲労指示をコントロール(?)して、終盤のランニングに備えるようになった。この必需品が2個の黒糖飴だ。20km、30kmくらいで、1個づつ口に入れる。エイドでバナナや柑橘類が置いてあるときは、使わないことも多かったが。その時の体調を見ながら、気合を入れる意味でも使うようになった。今回はこの2個だけが唯一のエネルギー源となった。気持ちよく走れたのは、練習量がシッカリしていたからか、撮影で5時間のペースが良かったのか、携行した飴の効果もあったのか。すべて自分で準備したことの集大成だと思うことにしている。
【後日談】
 5月の富山清流マラソン。この大会は給食サービスが北陸地区の大会では一番豪華(?)だ。顔なじみのSさんと携行品談義。彼女も東京マラソンを走っている。東京マラソンの給食サービスの不手際が話題になった。彼女も口にすることができなかったのだ。『富山は、サプリメントだけを携帯すれば良いから楽ネ』と、パンツの小さなポケットに入れていた。
散乱したパン。
 浅草に向かう復路側の給水所か、路上に白っぽい球形のものが散乱している。パンか? なんともったいないことをするのだろう。混雑からか、走りながら取ろうとしたからなのか。給水はともかく、食べ物をとるランナーは立ち止まるくらいの心がけが必要だ。復路に回ったときには、テーブルさえ影も形もなかったので、幻をみたのだろうか。
ボランティアのバスケットサービス
 ボランティアのバスケットサービスも見かけた。飴やクッキーなどを配っている。走っている位置から、見つけてもランナーとの配置がうまくいかず、撮影できる機会を逃してしまった。ランナーが群がる感じだったことも撮影意欲を失いた一因だ。給食エイドの準備不足がこんなところにも現れているのか。
茅場町〜銀座と戻り、歌舞伎座前を走る。(〜35km)
銀座4丁目の交差点で記念撮影。銀座4丁目の交差点で記念撮影。
 宿泊を伴う上京時に、たいてい訪れるのがこの銀座4丁目。待ち合わせの時間調整もかねて山野楽器によく立ち寄る。54歳から始めたフルート。楽譜やCDを目当てにくることも多かった。たまたま対応してくれた店員が石川県出身。それも息子と同じ泉ケ丘高校(自宅の近所です)に通っていたという。それを縁に、現在愛器にしている2本目のフルートは山野楽器で購入。ヤマハの銀座店にも脚を伸ばすが少し遠い。
 本当の目的は旧友との飲み会。1次会・2次会と会場が決まっている。回数は少ないが30年以上続いている。今回も大会翌日に飲み会を予定している。
 こうした、私事とは別次元で銀座4丁目をマラソンンで占有できることの楽しさを十分に味わうのがこの記念撮影だ。近くの人にお願いして数枚撮影していただいた。
思い出の街並みからニュー東京へ。
銀座4丁目の交差点。少し離れると、建物全体が撮影できる。 銀座〜浅草間は往復コースだった。銀ブラでは、前後左右の景色を楽しみながらワンウェイで街並みを楽しむこともできるが、ランニングでは振り返るのが難しい。大会コースの中で最も楽しみにしていた区間を往復で堪能できるのが嬉しい。行きと復りで景色が違うのだ。
 銀座4丁目で、往復コースからニュー東京ともいえる埋立地に向かう。東京を離れて30数年経った田舎ものには好奇心旺盛な地域である。
佃大橋〜豊洲〜有明:東京ビッグサイト。(〜フィニッシュ)
佃大橋の上り坂でランナーの列を狙う。
 佃大橋の上りにかかる。ここから先は、私にとって、まったく馴染みが無い地域になる。この地域にある施設を訪ねたことはあるが、土地勘ができていない。
 取材ランに限らずマラソン大会に参加するときには詳細地図を用意する。インターネットで地図サービスがあるのでとても便利だ。今回は東京の名所を巡るため、縮尺も8千分の1地図と大きめにしたら、横4355×縦4230ピクセルの大画面となった。これで距離間(感)や撮影のイメージつくりをする。取材後は、撮影位置の確認や建物・交差点名などの資料として使う。
佃大橋を渡る。 佃大橋〜有明の地区は橋伝いに4つの埋め立て島を巡る。コースガイドには、3つの橋の上り下りを繰り返してフィニッシュ会場へ向かうとある。起伏はランナーの列を撮影するのに貴重なポイントだ。しかし、自分の足で歩いていないので景色をイメージできない。次々に現れる風景とランナーの組み合せは、現在を楽しむ撮影だ。それ自体を楽しもう。
 佃大橋への取り付きはまったく予想しなかったものだ。隅田川の250m以上手前から坂が始まる。ランナーの列の撮影に気をとられて、どこから川を渡っているのか、川そのものを見ることなく通過してしまった。橋は川を斜めにかかっているので約200m、下り側の取り付きも250mくらいとすると約700mの架橋となる。36km地点の案内が橋の中央あたりのようだ。佃大橋を下るとすぐ晴海への橋へと続く。この橋を下ると左側に川面をながめることができる。
豊洲。超高層ビル群はあるが、視界は良好だ。
豊洲を走る。 晴海通りに入って豊洲地区を走る。そこここに超高層ビルが建っているが、道路幅も広く、建物との間隔もたっぷりあるのか、視界の広がりを感じる。雨もあがってきたようだ。空の青さも見えてきた。高層ビルとランナーの列を組み合わせてシャッターを切る。光量が増してきたので被写界深度のある写真になるだろう。
有明。もうすぐ東京ビッグサイトのフィニッシュ会場だ。
 東雲橋を渡ると、左側にジャスコが見える。高層ビルには看板がないので、建物名は後日調べることになるが、看板の大きな商業施設は、貴重な目印になる。
 撮影ランも目標時間は5時間以内を設定している。フィニッシュ会場周辺での撮影時間を考えるとあまり余裕が無い。この周辺は撮影したい建物もないのでピッチを上げる。39〜40km区間で5分12秒。1分くらいの撮影タイムは確保できた。
 最後の給水所(40.1km)付近からは首都高速湾岸線の工事中の橋梁か、迫力ある曲線を描いている。給水所の背景にもってこいだ。たまたま通りかかったタヌキの縫いぐるみを着たランナーも一緒に組み込んでみた。
42.195kmを走りました。 有明2丁目交差点のむこうに有明コロシアムが見える。ここを左折して直進するとフィニッシュ会場の東京ビッグサイトが見えてくるはずだが、ゆりかもめや首都高速の高架橋で視界がさえぎられている。癌研有明病院を過ぎると、ビッグサイトの東展示場が姿を見せる。名のとおり大きな施設だ。周囲はラストスパート・モードにはいっているが、フィニッシュ会場の付近は大切な撮影スポットだ。イベント広場のブラスバンドの応援演奏、沿道の応援をシッカリ撮影。ビッグサイトの北西角を右折するとフィニッシュ・ゲートが見える。応援用のスタンドが左右に設けられている。スタンドの応援席も満席というわけではない。トップランナーのフィニッシュにはどうだったのだろう。14時19分にフィニッシュ、ネットタイムは4時間58分46秒となった。
フィニッシュしたランナーを迎えるサービスなど
笑顔で完走メダルをかけてくれる
 フィニッシュゲートを通過すると、完走メダルとヒートジャケットを受け取る。続いて給水とバナナ1本。女性には花束もプレゼントされる。途中のエイドステーションでは提供されるはずの食料が無かった。早速、ほおばるランナーたち。空腹にバナナがとても美味しい。
ヒートジャケットを着た行列は少し不気味な雰囲気だ。
 ウォームジャケットを着て、ドリンクコーナーから更衣室まで長い完走者の列が続く。濃紺の三角帽子の行列だ。少しグロテスクに感じたのは私だけだろうか。明るく薄い色にしても良さそうなものだ。私は、雨具を着ており、ゆっくり走のおかげで汗も少なく、そんなに寒さを感じないので着用しなかった。これを着ると撮影も不便だ。
 チップ回収コーナーでは、靴に装着したチップを切り離してくれる。鉄柵をうまく利用していた。お互い腰を痛めないで済む。係りの人達の工夫であろう。
 手荷物返却エリアには、出発点で渡したトラックが番号順に並んでいる。私は中間でのフィニッシュで、荷物も減っており比較的短時間に受け取ることができた。先着のランナーは荷物を受け取るのに時間がかかったと聞く。先着の人達は、汗も多く、それが冷えて寒くなるから風邪をひいては大変だ。トラックに山積みされた中から、それも同じ形の袋で、番号を頼りに探す。係りの人の苦労が想像される。
 荷物を受け取って東京ビッグサイトの東館に入る。展示場の大空間が更衣室だ。それもかなりの混雑で、こんな壮観な更衣風景は滅多に見られるものではない。取材ランは、手荷物引渡しで終了。壮観な更衣風景は、美的センスを疑われるので撮影しないことにした。

仲間と落ち合って、集合場所に行く。
東京ビッグサイトを見物し、集合場所へ。
 バスは、葛西臨海公園駅の駐車場で待っている。そこまでは各自で行くことになっているが、会場内の待ち合わせ所で数人と出会うことができた。後続を待ち、方向音痴の2人を確保。東京ビッグサイトを見物しながら、駅に向かう。東京臨海高速鉄道の国際展示場駅で乗車し、新木場駅でJR京葉線に乗り換える。(詳細:略)
入浴後、仲間は金沢へ。私は東京に連泊だ。
 葛西臨海公園駅から浴場(湯処葛西)までは約3.5kmほどある。思ったほど混んではいなかった。風呂上りに大きな荷物をもっても最寄の駅まで行くのはつらい。地下鉄東西線のほうが便利だが、京葉線で景色を楽しもう。バスで公園駅まで送ってもらい、仲間たちと別れる。彼らの金沢着は、深夜だ。(詳細:略)
銀座はネオンが似合う?
銀座はネオンが似合う? 翌日は、東京の友人たちと約束の銀座で飲み会。有楽町から銀座4丁目に向かう。昨日走ったコースは夕方の雑踏となっている。この交差点で記念撮影したのも楽しい想い出だ。
 コース地図と記念メダルを肴に、2年ぶりの再会を楽しんだ。
 仲間の一人は、私が4丁目の交差点を通過した頃に現場にいたという。 

【編集長メモ:今回の完走記について】
 いつも車であふれている道路が3万人のランナーの流れに変わる。非日常の景色の中に自分を置く。ワクワクする思いで迎えた第1回東京マラソン。撮影取材ランには、雨天の悪条件であったが、楽しくできた。撮影枚数が多く編集に手間取るも、写真集はなんとかまとめるところまできた。
 取材記事をどうまとめようか、写真集をながめながら考える。視点をどこに置くかで記事も変わるからだ。東京についての情報はあふれている。コース上の景色の説明も詳細は不要だ。フルマラソンを4時間で走れるようになって、どんな走り方をしたかを詳報する気持ちもない。
@首都圏で開催される初めてのビッグな市民マラソン大会。参加し、取材したい。
Aコースとなった地域に生活的(仕事・娯楽・買い物・通勤など)な思い出がある。
B上京を機会に、兄弟や友人に会いたい。
 これが参加の動機だ。そうだ。『地方都市から首都の大会に参加する60歳を越したランナー』が自分の立ち位置だ。この点ならば、共通する視点の読者もいるだろう。主要ポイントで、自分との接点をコメントしよう。
 馴染みの地域ごとにコメントを書いていると、図らずも、私の人生のなかで東京の占める位置づけというものが浮かび上がってくるのが楽しい。インターネット上なのでプライベートの深入りはしないようにしている。写真や音楽など趣味に関するものを紹介したが、人生の多感な一時期を東京で生活した老人の思いを感じ取ってもらえればよい。

ますますエスカレートする東京マラソン。再取材はいつできる? 追記・更新:2009-11-20
 2008年大会は第2回目。好天を期待して再度写真撮影を、と申し込んだが、抽選に外れた。大会当日は青空に恵まれて、まさに写真撮影には最良の日和となったが、金沢からは遠い。
 2009年大会も申し込んだが、またも落選のメールが届く。応募者数にその人気が伺える。開催時期を2月から3月に変更したことも市民ランナーの気持を楽にさせたと思う。このフィーバーが進めば、東京マラソンの切符は容易に入手できるとは思えない。静観しながらも申し込みを続けるしかなさそうだ。
 サーバー容量の関係で未掲載の写真も多い。この冬は整理して東京マラソン特集を完成させよう。
◇東京マラソン特集を完成 追記・更新:2010-05-20
 シーズンオフから少しづつ写真を整理し、やっと東京マラソン特集をまとめるところまできました。推敲していると、自分自身が楽しんで走ったことが良く分かります。
 今回(2010年大会)も第1回大会(2007年)と同じような冷雨から始まり、後半で天気が回復したようです。好天の東京を取材ランしたいものです
◇東京マラソンの申し込み状況
東京マラソンの申込状況 マラソンの部 10kmの部 申込者の合計
2010 第4回 2010/02/28 272,134人(定員32,000人) 39,307人(定員 3,000人) 311,441人
2009 第3回 2009/03/22 226,378人(定員30,000人) 35,603人(定員 5,000人) 261,981人
2008 第2回 2008/02/17 130,062人(定員25,000人) 25,950人(定員 5,000人) 156,012人
2007 初回 2007/02/18 77,521人(定員25,000人) 17,523人(定員 5,000人) 95,044人

第2回大会以降の資料(参加者・気象など)
目次 1:スタート 2:日比谷〜品川 3:銀座〜浅草 4:銀座〜有明 5:フィニッシュ 6:大会資料 編集長レポート
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